2012年, 1月のブログ

2012年1月28日 

先週の祈り会でアニメーションのビデオクリップを見ました。のこぎりや、かなづち、ドライバーなどの道具がそれぞれ作業しているのですが、少し様子がヘンです。のこぎりが釘を打っていたり、かなづちが一生懸命木の板を切っていたりしていました。めいめいが作られた目的通りに使われていなかったので、作業はちっとも進んでいませんでした。しかし、のこぎりが木の板を切り、かなづちが釘を打ち、作られた目的通りに使われたとき、作業がスムーズに進み、ひとつの作品が完成しました。

 今日明日はアガペ研修会、ジーザスファミリーにとって最も大切な時の一つです。私たちがともに集まり主を求めるとき、主はその只中にいてくださり、私たちに語ってくださるのです。私たちひとりひとりは今このとき、このところで、主によって集められ家族とされています。ジグソーパズルの一片が一つでも欠けていたらその絵が完成しないように、主がひとりひとりを必要としてくださり呼んでくださっています。教会にひとりひとりに、主が造って下さった目的があるのです。主のご計画の一翼を担うものとして、主の壮大なストーリーの中に生かされているのです。主が私たちひとりひとりに、また教会に与えて下さっているご計画、ビジョンをいっしょに見ていきましょう! 私たちの心の目が開かれ、はっきり見えるようになるように求めましょう。期待して主の御前に集い、主の御声に耳を傾け主なる神を求めましょう。

 雲の柱火の柱で主がイスラエルの民を導いたとき、その群れの先頭としんがりとでは、かなりの距離があったのではなかろうかと思います。しかし民は雲の柱、火の柱を見て、一つとなって進んでいったことでしょう。私たちも心と思いを一つにしてイエスさまから目を離さずいっしょに前進しましょう。ジーザスファミリー号に乗って。


2012年1月21日 

 ヘレン・ケラーの話を使って、霊の目が見えるようになる、霊の耳が聞こえるようになることについて、去年私は話しました。ペンテコステの日にペテロが語ったように、私たちが御霊に満たされて、「息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る」ことを求めています。エマオという村に向かって歩いていた二人の弟子がイエスさまと話して、心が燃えていました。そして、パンを裂いた時に、目が開かれて、イエスだと分かりました。私たちも耳と目が開かれるように、主ともっと交わることができるように願っていることも話しました。

 年末にクリス・パーソンズさんが、同じヘレン・ケラーの話をしましたが、当てはめるところは少し違いました。預言や幻というより、私たちの目が開かれて、人の心を御霊の助けによって見ることができるようにと話しました。そのことを今晩、土曜日の礼拝で、もう少し追求したいと思います。

 使徒の働き11.19-26にバルナバという、励ましの人の話があります。福音がドンドン広がっていた時期でした。そして、初世代の指導者にとって、少し怪しいことが遠方に起こっていました。本当にいいのかとかなり悩んでいました。そうすると、その新しい働きを吟味するために、バルナバをアンテオケに派遣したのです。

 バルナバが到着し、彼は今まで見たことがない現象を見ました。でも、自分自身の経験やその偏見、固定観念からその働きを取り扱うことはしなかったのです。

当時の人たちにとって、当たり前の神学がありました。救いはユダヤ人のためだ、異邦人は救われないんだ、と他のリーダーは思っていました。でも、バルナバは 素直に心を開いて、神の___を___喜びました。リビング・バイブルによると、「バルナバは、神のなさるすばらしいことを見て、深く感動し、喜びにあふれました」。 

 それを認めて、みんながしっかり主にとどまるように励ましました。

 自分の賜物がすべてじゃない。自分の性格や好みが決定的じゃない。自分の背景や経験を押し付けない、と自分に言い聞かせていきたいです。そして、主が私の心の目を開いて、周りの人にある特別な恵みを認めさせてくださるように祈っています。そして、黙って、距離を  おいて、相手を見るのではなく、近寄って、「あなたのうちにこれこれの恵み(具体的に)を見ています。すばらしいと思う」と声をかけてあげたいのです。                                                    G.F

 


2012年1月14日 

「大事においては一致、小事においては自由、すべての事においては愛。」(アウグスティヌス)

年が改まって、年の始めに、神さまがわたしたちジーザス・ファミリーをまた、個人的に皆さんおひとりおひと りを大いに祝福してくださり、そのご計画を持って新しい領域へと運んでくださる、そんなことを思いめぐらせていると、わくわくしてはきませんか。たとえ今、目に見えている状況があまり芳しくなく思えても、いきづまっているように感じられたとしても、私たちの神さまは、生きておられ、わたしたちと共にあり、私たちに最善の道を用意してくださっているお方です。しっかりとそんな主に目を上げていっしょに前進していきま しょう。

全世界をおさめておられる神さまは、今の私たちの状況をもその御手の中に収めて下さっているのです。だから こそ、私たちは時に、神さまの大きな視点に立って、自分の日々の生活を見なければならないのではないでしょうか。小さな自分の毎日に悶々とし、一喜一憂してばかりいないで。

今年も、アガペ研修会が近づいてきました。私たち家族にとって、とても大切な時です。いっしょに神さまのみ 前に立って神さまを礼拝し、私たちの主にある歩みを確かなものとしていくために調整すべきところを調整し、共に励まし合い祈り合っていきましょう。

さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名に よって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。     Ⅰコリント 1:10

 パウロが、コリントの人たちに願っているように、私たちもまた、一致が必要です。パウロは同じ心、同じ判 断を完全に保つようにとお願いしています。私たちも、今この変化の時、神さまが私たちを大きく用いようとしてくださっているこのような時に、たがいに愛を持ってひとつとなって立ち 上がろうではありませんか。

今日、私たちは、神さまの視点に立って、神さまの大きなご計画の一部である自分たちに思いを巡らしながら、 一致することについて、そして自由について、一緒に考えてみましょう。そしてこの変化のときにこそ、私たちは心を合わせて主を慕い求め、主に聞き従っていこうではありませんか。互いに家族とされている喜びの中で、愛を持って、主に完全なる信頼を置いて前進していきましょう。              
M.H


2012年1月7日 

 新しい年の初めですから、昨年同様、私の今年の抱負について分かち合いたいと思います。

政治・経済や自然の天候ですらおかしくなっているこの時代に、クリスチャンとして今年どのように過ごすかを、イエスのハートの「クリスチャンのガイドライン」を参照して考えました。

ガイドラインは次の3項です。

・心、思い、力、知力を尽くして神さまを愛する。

・神さまが愛することを愛し、憎む(嫌う)ことを憎む(嫌う)。

・神さまの前に謙遜に歩む。自分で勝手にやれば初めは良さそうでも失敗する。

このガイドラインに従って立てた目標は、

・少しでも本物のクリスチャンに近づくように努め、「私はクリスチャンです」と胸を 張ってイエスさまを誇りたい。

・神様が喜ばれることをするために、

(1)祈りは漠然とではなく、フォーカスして具体的に祈り、

(2)一方通行の祈りではなく、神さまの声を求めながらの相互通行の祈りとし

(3)信仰と行いのバランスあるクリスチャン生活を送る。

・神さまの前に謙遜に歩むために、あらゆる事について、「自分が蒔いたものは自分で刈り取る」を肝に命じて、蒔くのは取るに足りない問題を引き起こす基ではなく、イエスさまの種、イエスさまの香りを蒔き、JFのビジョン「目を上げて畑を見なさい」の100倍にも増えた実を刈り取りたい。の3つです。

そして、これに加えてもっと聖霊さまを求め、みことばをより正しく深く理解し、ジーザスファミリーのビジョンの副題である、「イエスさまから目を離さない」で歩み、ローマ8:37「・・・私達を愛して下さった方により・・・圧倒的な勝利者になるのです」、と気が早いですが、大胆に告白できる年末を迎えたいと思います。H.M 

 


2012年1月1日 

 明けましておめでとうございます。

永遠に変わることのない主の愛と、御約束の中、ともに集い全能なる神さまを礼拝できる特権を、心からお喜び申し上げます。今年も、主にあって愛し合う家族として、主を愛し、主に仕えてまいりましょう。神さまの豊かな祝福の中で新年を迎えられることは、なんと幸いなことでしょう。今年もよろしくお願いします。

天地をお創りになられた神さまは、このすべてのものを、そのおことばを持って一瞬のうちにお造りになられました。私たちの、生きているこの世界は、ことばによって存在した世界なのです。私たちは目に見えるまわりの世界の現象が確かなことのように錯覚してしまいがちですが。実は、それら一切を存在せしめられた神さまのおことばこそが絶対的なものなのです。新しい年。新しいことをなされる神さまに信頼し、しっかりとみことばの上に立って歩もうではありませんか。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。

私たちの人生にはいろんなことが起こります。しかし、私たちは、幸いなことに、何をしても栄える、そんな人生を歩めるのです。さあ主の教えを喜びとし、その教えを口ずさむものとなりましょう。M・H