2012年, 4月のブログ

2012年4月29日 

 昔、ある国に父親と三人の娘が住んでいました。

長女はとても美しく、その村の誰よりも、その国の誰よりも美しいほどでした。父親は、とてもその長女をかわいがっていました。次女は、頭が良く、そして、多くの才能を持っていました。歌うことも踊ることもずば抜けて上手に出来、国中で彼女より優れた人を見つけるのは困難なほどでした。この娘もまたとても父親からかわいがられていました。そんな中で、末娘は、あまりに上の二人が優れていたためいつも父親から無視され、除けもののようにされ、愛されることもなく、いてもいなくても良いと思われていました。そして、娘自身も自分には価値はない、自分はどうでもいい存在で何もできないものだと思っていました。

 そんなある時、となりの大きな国の王子様が、花嫁をさがしにこの国にやって来ました。王子様はうわさを聞いて、この父親のところにやって来ました。

そして、王子様は父親に言いました。

「私は、花嫁をさがしにやってきました、あなたの娘を私の花嫁にしたい。」

父親は長女を連れてきて、「ハイハイ、王子さま、この子はとてもきれいで、もしあなたがこの子を花嫁にしたなら、この子を連れているだけで国中の人はあなたをうらやむでしょう。でももしこの子を花嫁にしたいならあなたの財産の半分をここにおいていってもらわなければ渡せません。」

「他の娘は?」と王子は言いました。

父親は次女を連れてきて言いました。

「この子はきっとあなたを幸せにするでしょう。何故なら、とても頭が良くどんな時もあなたを助けるでしょう。また、何でも出来る子だからあなたは一生すばらしい歌声の中で過ごせるし、おいしいご馳走を食べられます。でももしこの子を花嫁にしたいなら、あなたの財産の半分をここにおいていってもらわなければ渡せません。」

もう他にはいないのかと王子は言いました。

「はい」と父親は答えました。

「いや、もう一人いるはずだ」と王子は言いました。

そこで父親は、「はい確かにいますが、何も出来ないし、器量は悪いし、とても王子さまの花嫁になどふさわしいものではありません」と言いました。

しかし王子様は「その子を花嫁にもらいたい」と申し出たのです。

父親と二人の娘は驚きました。そして、二人の娘はどうしてあんな子を、何もできない、価値のない者をとつぶやき、悔しがりました。そして父親は言いました。「こんなやつを連れて行ってももあなた様にとって何の益にもなりません。でも連れて行ってくださると言うのならどうぞお連れ下さい。ただで差し上げます。」

しかし王子は、「いやいや、私はこの子を花嫁にしたいのだ。そのために私の財産の全部をこの子のためにおいていこう」と言いました。それを聞いて父親は驚き、あきれてしまいました。

 そして末娘は王子様と一緒に遠い国へ帰っていきました。何年かが過ぎ去り父親と二人の娘は考えました。あの末娘はどうしているだろうと。きっと今ごろ奴隷のようにこき使われているに違いない、何のとりえもなく、価値のないやつだからそして三人で一度末娘を見に行こうと遠い国までやって来ました。そして王宮の中に入ってみてみると、一人のとてもきれいなお姫様がまわりの者がみんなうっとりするほどきれいな声で歌っていました。それを見て三人は、やっぱり末娘はどこかに売り飛ばされたか、奴隷にでもされたのだと思いました。まさかこのお姫様が末娘だとは思えませんでした。その時、お姫様が三人に気付いて近寄ってきて「お父さん、お姫様は「はい私です。」「どうしてそんなに変わったのか。」お姫様は言いました。

「私は、ここに来て、王子様に愛されました。そして、自分が価値のあるもので、必要とされていることを知ったのです。」

 このお話の王子様はイエスさまです。イエスさまは、私たちを愛してくださり、私たちを必要としてくださっています。私たちひとりひとりは、価値のある者です。イエスさまは大きな代価を払って私たちを買い取ってくださったのです。あなたは大切で美しく、イエスさまにあって価値のあるものです。

                                 M.H

 


2012年4月21日 

私たちは神さまに期待し、信頼し、前進しました。これから、契約、経済的なこと、引越、センターの引き渡しのための整理など、いろいろとありますが、心を合わせ、ひとつとなって、家族としてこのときを主の御前で楽しみましょう。主は、私たちとともにおられて、日々私たちを勇気づけ励まして下さるお方です。さらに期待し、信頼し、前進して行きましょう。

さまざまな問題にぶつかったとき、不安の中で恐れているとき、私たちの主は私たちを励まし、勇敢でありなさいと語って下さいます。その励ましは、この世の根拠のない、むなしい掛け声だけの「勇気をだしなさい」「恐れるな」「勇敢でありなさい」「頑張れ」ではありません。私たちを愛して、私たちを選び出してくださり、いつも共にいてくださり、私たちを見放さず、見捨てない方が、私たちの働きを完成させてくださるとの約束の上にある励ましなのです。

ダビデはソロモンを勇気付け、励ましています。

 わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。もし、あなたが神を求めるなら、神はあなたにご自分を現わされる。もし、あなたが神を離れるなら、神はあなたをとこしえまでも退けられる。

今、心に留めなさい。主は聖所となる宮を建てさせるため、あなたを選ばれた。勇気を出して実行しなさい。」          Ⅰ歴代誌28:10,11

 それから、ダビデはその子ソロモンに言った。「強く、雄々しく、事を成し遂げなさい。恐れてはならない。おののいてはならない。神である主、私の神が、あなたとともにおられるのだから――。主は、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、主の宮の奉仕のすべての仕事を完成させてくださる。                 

                           歴代誌28:20

今日、神さまは私たちにも、語ってくださっているのではないでしょうか。

 私たちには、神さまから、与えられた使命があります。すべての国の人々を弟子としなさいとイエスさまは語られました。私たちにはビジョンがあります。恵みの中からキリストのかおりをこの町に、大阪に、日本に、世界に放つのです。私たちが恵みの中で満たされて、私たちの内からあふれるキリストのかおりが、私たちのオイコスの人たちへ、この町の人たちへと流れて行って人々が変えられ、救われ、整えられて神の宮となるのです。この町が変わるのです。さらに、そこからキリストのかおりがあふれ流れていくのです。世界の国々にまで。私たちは、この約束をしっかり握って、そして、イエスさまから目を離さず、恵みから、ビジョンから、その苦しみから目を離さずにいましょう。大いなる方に目を上げて、神がおられなかったら絶対に出来ない、そんなビジョンを見て、共に主の御足跡に従って行こうではありませんか。主が今日も私たちを励ましてくださっています。         

                                M.H

 


2012年4月14日 

 

 互いに愛し合う家族、ひとりひとりは違ったところがあって、年齢、性別、考え方、性格、見た目、は違うけど、みんな主を愛し、隣人を愛し、互いに愛し合い、三つの愛に生きるファミリー。

困難と思えるとき、失望を感じるとき、状況を見たら恐れおののきたくなるそんなときでも。

 恵みの中から、キリストのかおりを~ここに、大阪に、日本にそして、世界に~

 ビジョンを掲げていっしょに、前進してきました。今、新しい領域に踏み出していくそんなときです。

 センター移転の話が出て今まで、ともに主の導きを求め祈って下さりありがとうございました。その間、私たちは、確かなことがわからず、長い間、ときには荒野をさまよっているように感じたり、暗闇を手探りのように歩んでいるように思えたりしたこともありましたが、主は真実なお方です。主のベストの時に確信を与えて下さり、私たちを前進させて下さる方です。今、主の確かな導きの中、平安を持って進んでいきましょう。踏み出して嵐を見たら恐れを持ってしまいますが、主は私たちを確かに約束の地へと導いて下さると信じます。

 私たちには、夢があります。この町が主にあって変えられ、主の臨在が満ち溢れるのです。そのようになることを信じて、長いスパンでJFを見るとき、また、短いスパンで日々のJFを見るとき、私たちが大切にしている、ファミリーとしてJFを見るとき、主に語られてきた宣教のリソースセンターとして見るとき、私たちのビジョンを支える三つの柱、礼拝、宣教、交わりを通して見るとき、私たちには何が見えるのでしょう。新しい場所に、夢が膨らみます。素晴らしい主の栄光が見えます。主の平和がそこにあります。いっしょに進んでいこうではありませんか。そして、この町の人々が、私たちのオイコスが、この素晴らしい家族に加えられていくのを見ていきましょう。主は恐れるなと語ってくださっています。主の約束です。

  しかし、ゼルバベルよ、今、強くあれ。――主の御告げ。――エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。――主の御告げ。――仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。――万軍の主の御告げ。――

 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。

 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。

 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。

 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。――万軍の主の御告げ。――

この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。――万軍の主の御告げ。――」

                        ハガイ2章4節~9節

                                                                                              M.H

 


2012年4月7日 

「人の子は、今に人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」マタイ17:23

イエスキリストが生前に弟子たちに言われた言葉です。何度も繰り返し同じことを教えられましたが、弟子たちは理解できませんでした。私たちはどうでしょうか。イエス様の死と復活をどれだけ理解しているでしょうか。

 日曜日はイースターです。クリスマスほどではありませんが、欧米では信仰に関係なくさまざまな形で祝われ、商業化されていることは言うまでもありません。しかしキリストに対する信仰心を持っている人たちは、キリストの復活を祝う日だということは十分分かっています。金曜日はグッドフライデーと言われ、全ての教会でミサや礼拝が行われ、キリストの死を偲びます。ではその間の土曜日はどうでしょう。キリストが墓の中で眠っていた日です。

 この日は、イースターサタデー、ホーリーサタデーなどと呼ばれることもありますが、礼拝やミサはほとんど行われず、カトリックの教会では洗礼や罪の告解(こっかい)などの儀式は極力行いません。聖書にもこの日についての記述はほとんどありません。教会の伝統では、キリストが黄泉に下り、悪魔から死とハデスとの鍵を奪ったと、聖句の解釈からそう信じられています。

 私たちはこの日をどう理解するべきでしょうか。イエス様はヨナの例えを用いました。「ヨナは三日三晩大魚の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩地の中にいるからです。」マタイ12:40

ヨナはこの三日の間どう感じたでしょうか。永久に絶望の淵にいると感じたことでしょう。またずっと信じて従っていたイエス様を亡くした弟子たちはどう思ったでしょうか。私たちも何か亡くしてしまっているものはないでしょうか。信じ続けてきたがまだ見えていないもの、あきらめかけているもの、神様が確かに約束してくださったのに自分の考えだったかもしれないと思い始めているもの、教会としても、また個人個人でもあるのではないでしょうか。

朝は必ず来ます。キリストが眠っていた日は、実は安息日でした。安息の日、主に賛美を捧げる日、互いに交わる日でした。朝が来るまで、主を信頼し、地に落ちることのない主の言葉を信頼し、主の安息と賛美と豊かな交わりを楽しみながら待ち続けようではありませんか。この大阪、この日本にリバイバルが来ると信じて!

「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは御前に生きるのだ。私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」

ホセア書6:2-3                       K.F


2012年4月1日 

花も咲きだし、若芽が吹き出す。4月。イースターを前に、新しい命の息吹を感じる季節です。

今日から新しい年度が始まります。進学される方、進級される方、新しい職場に移られる方と様々ですが、環境が変わる方も、今まで通りの方も、主の復活を前に、今日もともに心を合わせて、新たな気持ちで、主をほめたたえましょう。ひとりひとりが、それぞれおかれた所、その状況の中で主を力強く証し、主のかおりをはなちましょう。決して気負わず、自分の力に頼らず、主の恵みの中から。

 イエスさまが、エルサレムの城壁の中へと入ってこられました。人々を救いのために十字架について下さるために、その城壁の中へと入ってこられたのです。

イエスさまは、そこに入ってくるのにどうやって入ってこられたのでしぃうか。そうです、向こうの村につながれていた、誰も乗せたことのない小さなロバを用いてやってこられました。

突然、ロバを差し出さなければならなかったロバの持ち主はどんな気持ちだったのでしょうか。「主がご入り用なのです。」ただその一言で、自分の持ち物を持っていくなんてと思ってしまったのではないでしょうか。それとも、気持ちよく、なにもこだわらずに差し出せたのでしょうか。

私たちだったらどうでしょうか。今日、もしあなたのロバを差し出すようにと言われたら、「主がご入り用なのです」と言われたとしたらどうでしょう。

あなたのロバはどんな物でしょうか。そして今までに、そんな経験をしたことはありませんか。その時あなたはどうしたのでしょうか。

自分が差し出した小さなロバが、イエスさまを背に載せて、ホサナホサナと大歓声を浴びているのを見てどのように感じたでしょうか。きっと誇らしく、うれしく思えたのではないでしょうか。私たちも、そんな経験をしたいものです。

  ロバの綱をほどかれているとき、このロバの持ち主はまさか2000年後に、日本で、大阪で自分の話をされているなんて想像できたでしょうか。今あなたが「主がご入り用なのです」に答えてあなたのもっている小さなものを差し出すことは、今は何のためか、またそれがどうなるのかわからないけれど、それは、きっと主の働きに用いられるのです。主がご入り用なのですから。偉大な神さまは、私たちの差し出す小さなものを用いて大きなことを成してくださるのです。いっぱい何でも持っている偉大な神さまが、小さな私たちが差し出す小さなものを用いて働いてくださるのです。        

                                                 M.H