2012年, 6月のブログ

2012年6月23日 

6月23日はオリンピックの日です。1894年6月23日に国際オリンピック委員会が設立されたのが由来です。現在では4年に一回、ちょうど閏年の夏にオリンピックが開催されます。オリンピックは様々な感動、名シーンを生み出します。生きてきた中で、数々の名場面を鮮明に覚えている方も多くいるのではないでしょうか。

 オリンピックには多くのテーマやモットーが謳われます。民族や文化などの壁を越えた一致、平和、団結は聞こえもいいですし、開会式では大きく取り上げられます。しかし実際に試合の場になると、とにかく相手を倒そう、相手より100分の1秒でも早くゴールしようと思います。オリンピックを見ていて感じるのは、「勝負の世界」です。

 今年ももうすぐロンドンでのオリンピックが始まります。日本からも多くのアスリートが国を背負って出場しますが、もう「オリンピックは出ることに意義がある」などと言う人はいません。「メダルを獲って帰ってくる」と言う人がほとんどです。

 オリンピックの「勝負」は、何も本番での試合だけはありません。そもそも開催都市を決めるところから始まります。ここ数回の開催で日本は苦杯をなめてきました、「我こそは」と世界中の大都市が名乗りを上げ、莫大な費用をかけてどこよりも自分の町が開催に相応しいことをアピールします。

 次には、オリンピックに出ることです。今年も各種目での選考を巡って数々のドラマがありました。サッカー五輪代表はつまづきながらも出場権を得、バレーボールも女子はギリギリで出場が決まったものの、男子は残念ながら敗退しました。決まったチームの中でも、オリンピックの最終チームに残るための勝負が今も繰り広げられています。個人競技では、大学生のディーン元気選手が槍投げで大会新記録を出して出場を決め、マラソンでも歓喜や涙がありました。猫ひろしのカンボジア代表としてのマラソン選考も話題になりました。

 これらの道のりを歩んできた人たち、これから大舞台に立つ人たちにとって、これらが全て勝負です。オリンピックを人生最大の勝負と位置づける人も多いでしょう。ですから目標を達成できるよう、悔いの残らないよう周到に準備し、心身ともに鍛えていきます。

 私たちにも勝負があります。オリンピックで失敗してもほとんどの場合は死活問題にはなりません。しかし私たちの勝負には多くの人たちの魂が懸かっています。どこまで本気で勝負をするのでしょうか。悔いの残らないよう、しっかりと教会として考え、計画を練り、勝負の時に備えていくべきではないでしょうか。

 これは一人一人の意識にかかっています。勿論チームワークは大切ですが、一人一人が自分の考え方、生き方に責任を持ち、後ろを振り向かず、目指すべき目標をしっかりと認識して行動することから始まります。新しい場所で、一人一人が、そして教会全体として、自分自身を見つめなおし、勝負に向けた新しいスタートを切りましょう。

 

 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨て、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

―ヘブル12:1―

                                K.F


2012年6月16日 

 時々、私たちの生活は複雑になりすぎます。そんな時は、リセットボタンを押す必要があります。

最近、私は友だちの家に行きました。彼は3カ月ほど前に新しいノートパソコンを買いました。まだそんなに経っていないのに、パソコンの動きがとても遅くなってしまっていました。その時私は、動作を最速の状態にするには、中身を全部入れ直すしかないと考えました。パソコンを買った時の初期の状態に戻すということです。

私たちにも同じことが言えるのではないでしょうか。

私たちは、時に考えすぎたり、心配しすぎたりして、物事を複雑にしてしまっていることがよくあります。そのような重荷を下ろすべきです。私たちにもリセットボタンが必要ですが、残念ながら、私たちはリセットボタンを持っていません。しかし、私たちにはもっといい方法があります。私たちにはイエスさまがいてくださるのです。

イエスさまは言われました。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、

わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」  マタイ11:28‐30

                                    

                              T.P

 


2012年6月12日 

もし人が会話をしている中で、自分の名前が話されていたら、その人たちが自分の何について話しているのだろうかと気が気ではありませんよね。

名前と本人は、ひとつですから、誰かの名前が使われていたら、それはその人が使われることにもなるのです。だから、私たちは自分の名前をむやみやたらに使うことはしません。

何かの保証人や契約書に署名することは重大なことです。投書するときも、匿名ではなく署名を求められたら少しためらいます。なぜなら、そこに責任が生じるからです。

名は自分の全存在を意味します。もし、誰かが私の免許証を偽造してその名を使っていたら、また、銀行の私の名前のカードでお金を引き出していたら重大なことです。人の名前を勝手に使うという行為はその人の権利を奪うことになってしまうからです。それは、その人の尊厳を深く傷つけることでもあるのです。

人の名前でさえそのように勝手に使うことが赦されないのなら、神さまの名前の乱用が禁じられていても当然のことですよね。

あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない 出エジプト記20:7

 

先週から十戒についていっしょに考えています。

畏敬の念を育むことの大切さ、畏敬をもって人生を歩むことの重要性を、そして、まことの神を神とすること、偶像を造ってはならないこと、どのようなものが偶像となるのかといったことをいっしょに学びました。今日は、3番目の戒めと4番目の戒めをいっしょに考えてみましょう。

神は、みだりに主の御名を唱えてはならないと戒めておられます。それはどういうことでしょうか、私たちの日々の生活の中でどのように適応するのでしょうか。主の御名とは、みだりにとは、唱えるってどういうことでしょうか。いっしょに考えてみましょう。

そして4番目の戒め

安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。出エジプト記20:8

安息日の意味することは何なのか。ただ一週間のうちの一日を仕事をせずに過ごすということで終わらないように、安息日を守ることの意義は、またそのように生きるためには、どうしたらよいのかを考えてみましょう。

私たちが健やかで充足した人生を歩むために、今日も十戒を通して学び、それを日常生活の中に活かして、いきいきと主に喜ばれるクリスチャンとして成長していきましょう。

                                                 M.H

 


2012年6月5日 

私たちは、健やかで充足した人生を送りたいと願っています。そんな人生を生きるには、ただ体が健康であるだけではなく、魂も健康でなければなりません。からだの健康のためには、正しい生活習慣が大事です。食生活や、適度の運動、休養の面でのルールをきちっと守ることが求められるのです。魂の健康のためにも同じことが言えるのではないでしょうか。食生活に注意を払っている方、ジムに行って汗を流している方、定期的に休養を取る方はいらっしゃいますが、魂の健康のために、何か守るべきルールをもって日々を送っておられるでしょうか。

聖書を読むことや、主と交わること、聖霊さまに日々満たされることは、とても大切なことです。

もう一つ魂の健康を守るために守るべき大切なルールを聖書は教えています。それは、皆さんもよくご存じの十戒です。しかし、それをただ唱えるだけでは、あまり意味がありません。倫理であれ、道徳であれ、ただ唱えるだけでは何の力もないのです。私たちはそれを日常生活の中で具体的に適応しなければなりません。

どのように適応したらいいのでしょうか。また、何のためにそれが私たちに与えられているのでしょうか。その真意について、いっしょに考えてみましょう。ただ唱えるだけのお題目にならないように。

1.あなたは、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

2.あなたは、自分のために偶像を造ってはならない。

3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

5.あなたの父と母を敬え。

6.殺してはならない。

7.姦淫してはならない。

8.盗んではならない。

9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

10.あなたの隣人の家をほしがってはならない。     

                          出エジプト記20:3~17

いっしょに健やかで充足した人生を歩みましょう。

                                      M.H