2012年, 9月のブログ

2012年9月23日 

 

タナ湖はエチオピアの北部にある美しい湖です。この間、エミといっしょに私たち夫婦が訪問しました。

 そのほとりに、湖の美しさとは対象的にみじめな生活をおくっている一つの部族が住んでいます。彼らは湖から刈り取るパピルスでボートを作ります。モーセが赤ちゃんの時に乗せられたかご(パピルス製のかご、出エ2.3)よりちょっと大きめなボートでしょうが、誰も乗りたがらない、頼りなさそうなボートです。そのようなボートを使って、湖を渡って物を運んだりする仕事をします。また婦人たちがパピルスでバスケットなどを作ります。

 他の男性は、大きい石を金槌でたたいて石臼を作ります。強制収容所でやるような仕事に見えます。でもNGOのスタッフなどがよく見学に来るようですので、私たちがカメラを持ちながら近づいたら、写真を撮るためにお金を要求しました。NGOが彼らの写真を使ってお金を集めるけどそのお金が彼らのところに回ってこないので、嫌がっています。

 固いイスラム教徒ですが、他のイスラム教の民族に軽蔑されています。実は、すべての周りの民族に軽蔑されています。自分たちもそれを当然だと思っています。なぜかというと、彼らの言い伝えによると、大昔、先祖たちがイスラエルの民といっしょにエジプトを出て、約束の地に向かって、紅海を渡りたかったけれども、モーセが彼らを拒みました。とうとう、先祖がナイル川を上って、タナ湖にたどり着きました。自分たちは、神様にも人間にも拒絶されて、この世にも次の世にも希望がない、呪われたものだと思い込んでいます。ただ毎日のサバイバルのために生きていこうとします。インドの不可触民のような存在です。

 少ないのですが、イエスさまを受け入れた人もいます。しかし、周りのプレッシャーで止めてしまいます。また、既成の教会は彼らを受け入れる体制をもっていないのです。彼らに合った伝道、彼らに合った信仰のファミリーが必要です。

 娘のエミが不思議な導きを通して、エチオピアに行って、この民族のことが示されました。2~3年後、戻って行って、彼らにイエスにある恵みと救いを伝える準備をしています。タナ湖の民族のためにエミに与えられたみことばは、「 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。」Ⅰペテロ2.9-10です。

エミといっしょにこの民族を、またさらに多くの北アフリカの民族をやみの中からイエスの驚くべき光の中に招きましょう。                         G.F

 


2012年9月16日 

 

静けさと荒涼とした風景の中に大きな収穫の予感・・・宮城県女川町の話です。

その静けさと荒涼とした風景はただ、実際の耳や目に入る感覚ではなく、それは人々の心の風景です。震災から1年半、少しずつではあるけど、進む復興の中で人々の喪失感は、増し加わっているのではないかと私は感じました。多くの人々と接したわけではないし、その場所に何度も行って時間を費やしたわけでもないのですが、神さまが私に語ってくださったと思います。

もう一つ強く感じたことは、その喪失感は、東北地方に住んでいて被災された方だけではなく、被災地を故郷として持っているそんな都会に住む人々、被災地が自分の出身地でもう何十年も前に他の地方に移り住んだ人たちにとっても、大きな喪失感だと感じました。

そこにも大きな収穫があるのではないでしょうか。目を上げて畑を見なさい、色づいて、刈り入れるばかりになっています。とイエスさまは言われました。人々の静けさと荒涼とした心は、そんな畑のようです。この大阪にも被災地出身者はきっとたくさんいらっしゃるのです。もう、すでに東北地方で多くのクリスチャンが活動し、教会の犠牲的な働きによって、その刈取りは始まっています。多くの人たちが神さまを信じて救われていると聞いています。でも、なんとなく被災地だけではなく大きな収穫が、あちらこちらで始まる、そんな期待でいっぱいです。私たちも、その働きに加わろうではありませんか。愛と憐れみの心をもって祈りましょう。

震災直後、私たちはこのような日が来ることを感じていました。実際的な緊急の支援や、ボランティアがひと段落(実際は必要がいっぱいだけど)ついたとき、私たちの出番がやってくるのです。むなしさ、喪失感、気丈に耐えて頑張ってきた思いがふと途切れてしまった、燃え尽きたような状態といった物質やお金では満たされることのない空白を満たすことが出来るのは、神さまの愛だけです。そんな神さまの愛を運んで行こうではありませんか。どのような形でそれを成すことが出来るか心を合わせて祈り神さまに聞いて、実際に行動に移していけたらと思います。神さまは私たち、ひとりひとりが滅びる魂に対してアクションを起こすのを、そして多くの人々が救われるのを待っておられるのです。                                  M.H

 


2012年9月2日 

 

開かれ、新たな気持ちで、新しいセンターで、この27周年の時を私たちひとつの家族として迎えることが出来ることは、なんと麗しく、素晴らしいことでしょう。

ジーザス・ファミリーの一歩一歩は、私たちひとりひとりが、神さまを愛し、神さまに従い仕えてきた、そんな尊い日々の積み重ねなのです。互いに互いを感謝しようではありませんか。誰一人としてこの家族の中で必要のない者はいないのです。みんな、ひとりひとりが大切な体の器官なのです。私たちはひとつの体としてキリストの栄光を表し、キリストのかおりを放ってきたのです。そして、これからもさらに、深く、広く大きく、そして力強く私たちはキリストの栄光のために成長し用いられていくのです。

27年間の中で、この1年は私たちにとってとても大きな1年であったのではないでしょうか。長く慣れ親しんだセンターからこの新しい場所へと移ってきました。集会の持ちようも変化しています。ここに移ってきて今までのようにできなくなったこともあります。私たちは、そこに目をとめるのではなく、このセンターだからできること、ここで神さまが、今、ジーザス・ファミリーに集う、私たちを通してなされようとしていることに目を向けそれを忠実に行っていきたいのです。

まだ、この1ページは始まったばかりです。戸惑うこともあるし、目に見える良い変化はあまり感じられないかもわかりませんが、神さまのご計画はすべてが完璧であり、神さまのタイミングで必ず素晴らしいことを成してくださるのです。そのためには、私たちが、いつも主の恵みの中にとどまって、主にへりくだって、みこころを求め、聖霊さまに頼っていかねばならないのではないでしょうか。それは秘訣です。私たちの、今までの一歩一歩も、これからの前進も聖霊さまに聞き従って歩むのです。

私たちの歩みを、人間的な思いで振り返り考えたら、また、人間の目で見たら、私たちは落ち込んだり、失望したりしてしまうこともたくさんあります。なんでこうなるのか、どうしたらうまくゆくのかと、そんなことの繰り返しです。しかし、いつも、どんな時も、主の真実な御言葉に固く立ち聖霊さまの導きを求めそれに従順に聞き従っていくなら、私たちは決して失望させることはありません。主に目を上げていっしょにジーザス・ファミリー号に乗って、期待し、信頼し、前進して行こうではありませんか。

私たちには、大きな夢があります。私たちには、主が私たちに与えゆだねて下さった使命があります。そして、私たしたちには、主が与えて下さる祝福が満ち溢れているのです。さあ、28周年に向かって、いっしょに主を見上げて主の御前にへりくだり、前進して行きましょう。

                                              M.H