2013年, 4月のブログ

2013年4月28日 

幻ではない、真実だ

 

クリスチャンとして生きている私たち。なぜそう生きているのでしょうか。親にそう育てられたから、友達に誘われたから、苦しいときに教会に助けてもらったから、教義に興味をもったから、・・・動機は様々です。神様は人や状況などを用いて私たちを引き寄せて下さいます。しかし、私たちは、イエスキリストの死と復活、その血潮による赦し、永遠の命などをずっと信じ続けているのです。

 

私たちの信仰の源は何処にあるのでしょうか。親でしょうか。友人でしょうか。牧師でしょうか。教会でしょうか。それとも自分自身がしっかりと神様に繋がっているでしょうか。また信仰とは、教会に忠実に仕えることでしょうか。聖書を毎日欠かさず読むことでしょうか。使徒信条を暗唱することでしょうか。嵐がきて、すべてが崩れさったあとにまた起き上がり、「主は生きておられる」と信じて主の働きを続けることではないでしょうか。

 

迫害に会い、牢獄にぶち込まれ、御使いの手によって奇跡的に助けられたペテロは、最初はすべてが幻だと思っていました。しかし我に帰ってそれが現実だと気付く

と、弟子たちを励まし、福音をさらに力強く語りました。

 

 

キリストの弟子として生きるこの人生は、決して幻ではありません。これが現実であり、私たち唯一の人生です。ですから、きっかけはどうであれ、本当に心から信じて従うのでなければ、人生の大半を無駄に生きることになります。

 

今日も神の御国の福音が力強く宣べ伝えられ、御国が広がっています。モザンビークのコティ族のように、主の愛と力に触れられ、変わっていっている人々が世界中にいます。神のことばは国々を造り変える力を持っています。一方、その福音を聞くことなく今日も滅びていく人々も大勢います。

これも夢、幻ではなく、紛れもない現実です。

 

神様が私たちを、日本の教会を眠りから醒まして下さいますように!!                    K.F

 


2013年4月21日 

毎日、毎日、同じことの繰り返し、もう何年経つのだろう。まあ、ここにいたら、何とか生きてはいける。美しの門と呼ばれる宮の門の前に、今日も施しを求めて生まれつき足のきかない男が・・・

   しかし、その日はいつもと違いました。この男はおどり上がって立ち上がり歩き出したのです。飛んだりはねたりし賛美しながら宮に入って行ったのです。人々は、驚きました、あきれるほどに。

この男に何が起こったのでしょうか。この男は求めていたものとは違うものをいただいたのです。男はその日の必要のための何かを(金銀を)もらえると思っていました。私たちも、ある意味でこの男のように毎日、人を頼りにして施しを求めて生きているのではないでしょうか。金銀ではなくても、たとえば、自分に都合のいい甘い同情となぐさめ、それを与えてくれる人を捜し求めている、そんなことはないでしょうか。そして、その甘いことばに心地よくなってしまって、毎日そこに依存し、寄りかかっているのです。この男もきっと、そんな人生を送ってきたのではないでしょうか。生まれつき足が利かない自分、そんな自分に対する失望とあきらめ、自己憐憫の中で、毎日誰かが宮まで運んでくれる、宮の前で座っていれば誰かが施してくれる、いつの間にか、自分の人生がそれでいいのだと思うようになって・・しかし、主イエスの御名によって、与えて下さったも

 

 

のは、男が考えていたものとは少し違っていたのです。それは、自分で立ち上がり、自分で歩き出すことだったのです。依存して、人任せで、用意された人生を歩むのではなく。そして、それだけではなく、神さまを褒め称え、賛美するそんな人生が与えられたのです。

私たちは、いかがでしょうか。神さまは私たちにも、そのようになることを望んでいてくださり、私たちを、そのようにイエスの御名によって変えて下さるお方なのです。もう施しを求める必要もなく、誰かに依存して生きていく必要もなく、ただ神さまをあがめ神さまに頼るそんな生き方に私たちも変えてくださったのです。そのように生きていこうではありませんか。

また、少し視点を変えてみたら、私たちのまわりの人々はどうでしょうか。ある意味でこの男のようです。根本的に自分を変えるものではなく、その場しのぎのものや言葉を求めているのではないでしょうか。そんな人たちの中で私たちは、ペテロとヨハネのように、人々を立たせることが出来るのです。それは、ただ相手の求めるものにこたえるだけではなく、相手を自分に依存させるのではなく、自分自身で立ち上がって、神さまを賛美するものにかえられていくようにと。私たちは、ただ、門まで運んでくれる親切な人ではないのです。私たちもペテロとヨハネのように、大胆さと、謙遜と、忠実さとそして、主に対する従順をもってこの世界に届いて行きましょう。      M.H

 


2013年4月14日 

忍耐?我慢?

 40日の連鎖断食の祈りが始まりました、皆さんサインボードに名前を書いて下さいましたか。期間中一食でも断食して、いっしょに心を合わせて祈りましょう。そして、神さまが私たちに与えて下さっている約束のものをしっかりと受け取ろうではありませんか。この40日を通して、神さまが私たち教会の目を開いて下さり、私たちが受け継ぐもの、私たちに働く神さまのすぐれた力がどれほど偉大なものであるのかを知ることが出来ると私は信じています。それとまた、10日間の全国一斉救国断食祈祷はこの日本のリバイバルのための大きな打ち破りとなると信じています。日本は変わります。

 

最近、何かと便利になって私たちはあまり待つことや人との約束といったようなことをしなくなっているのではないでしょうか、携帯電話があるし、欲しいものはインターネットで、どんな物でも簡単にすぐに手に入ってしまうし。言い換えれば、待てなくなっているということですが、約束をして信じて待つということがなくなってきているのではないでしょうか。そして、それは神さまとの関係においてもそのようになってしまっていることはないでしょうか。別にこれは便利になったからという理由からだけのではなく、私たちの自己中心的な思いからや、または子供のような未熟さから・・子どもは何かをほしいと思ったら自分の方法で今すぐ手に入れなければ苛立ってしまいます・・というのもあるのでしょうが。

 

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。       へブル10:35、36

 

皆さんはいかがでしょうか。神さまが皆さんに語ってくださった、確信を与えて下さった事柄、夢、ビジョンを、いつの間にやら、いらだって、待てなくなって、短気を起こして、放り出してしまってはいないでしょうか。

約束のものを手に入れるのに必要なものは忍耐です。と、み言葉にあります。すぐに答えがほしい。一瞬で人生が変わってほしい。こんな奉仕に用いられたい。でも、それらを得るためには、忍耐が必要なのです。そして、その忍耐は、ただ、耐え忍ぶだけの我慢大会のように生きることとは少し違うものなのではないでしょうか。私たちは、何もせずただ我慢していたら、何か約束のものが与えられるのでしょうか、決してそういうわけではないのではないでしょうか。

約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。その前に、あなた方が神のみこころを行ってとあります。私たちは決して私たちが得た確信を投げ捨てずに、神のみこころを行って、忍耐しなければならないのです。そのようにするなら大きな報いがもたらされるのです。             M.H

 

 


2013年4月7日 

もったいない話です

 

ずーっと昔の話ですが、週3ドルで暮らせる、狭いみすぼらしいアパートで、死体で発見された男性がいました。

その男性は、20年間シカゴの通りをボロを来て、ごみ箱からごみや残飯をあさり食べていました。2~3日姿が見えなかったので気になった近所の人が、部屋に行ってみると、その男性はベッドの上で死んでいました。

検死の結果、栄養失調で死んだことがわかりました。しかし、その時彼が腰に巻いていた札入れからは23,000ドル以上ものお金が出てきたのです。その男は生活のために新聞売りをし、残飯をあさり、みじめな貧乏暮らしをしていました。

男は、そんな小さな、汚いおんぼろアパートに住まなくても、町で最上級のホテルに住むことが出来たのです。残飯を漁って、食べなくても最高のごちそうを食べることもできたのです。この男性は、自分の持っているものを使わなかったのです。

 

私たちがクリスチャンとして歩むとは、どのような歩みをすることなのでしょうか、私たちが、イエスキリストを救い主として信じたとき、それはイエスさまの十字架の死とそのよみがえりの力を私たちも受けたのです。だとしたら、イエスさまを信じてクリスチャンとなった時に私たちに与えられて私たちが持っているものは、どのようなものなのでしょうか。私たちは、それらを持っていながらそれらを使っているでしょうか。それとも、この

 

 

男性のように持っていながら、自分の持っているものを使わずに人生をみじめに過ごしてしまってはもったいない話ではありませんか。

私たちは、やがて天国に行けるのだから、今のこの地上での人生は、とにかく我慢して耐え忍んで生きていきましょう。というのは、決して神さまのご計画ではありません。

父なる神さまは、私たちがこの地上で神さまが私たち信じる者に与えて下さったすべての霊的祝福をそして権威をこの地上に働くもろもろの悪霊に対して行使し、勝利を得て歩ませて下さるのです。私たちは、そんな素晴らしい権威が与えられていることを知らなければならないし、それを知っているのなら、それを使わなければならないのではないでしょうか。

私たちは、自分の持っているものを知る必要があります。

イエスさまは言われました。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

ホセア書では、わたしの民は知識がないので滅ぼされる。と言われています。

人々は、本来滅びるべきではないのに現実には滅びているのです。

もったいない話だとは思いませんか。

                               M.H