2013年, 7月のブログ

2013年7月28日 

 

 先ごろ、サッカープレミアムリーグの名門中の名門ティーム、マンチェスターユナイテッドが来日し日本で親善試合をおこないました。マンUと言えば、日本のエース香川選手が所属しているティームで勿論香川選手も、その一員として試合に臨んでいました。横浜での試合では、香川選手の凱旋試合に6万人以上のサポーターが大声援を送っていました。日本のサッカー界にとっては10数年前には想像もできなかったような光景です。それを見ていて、感動しました。

 そして、私たちクリスチャンもこんな風に天国に凱旋していくんだなと思いました。私たちは、もう世界宣教のお荷物ではなく、最後の一部族にまでとどいて行く大きな、大きな役割を担うものなのです。御国のティームの一員として、神さまの働きを成して、そして大歓声に迎えられて御国へと凱旋していきたいものです。

 

 私は、サッカーに限らずスポーツを観戦することが大好きです。そして、スポーツの中からティームワークの事やあきらめないこと、トレーニングの大切さなど、いろんなことを学んできました。本当にスポーツっていいものですね。

 ある意味で、私たちは日々、御国の戦いを戦っているスポーツ選手のようなものです。だとすれば、私たちは、自分がどのようなものであるのかを知らなければならないと思います。どのようなスポーツの試合にしても、自分が何か卑屈になって怖気づいていては、試合に勝てるものではありません。変なプライドではなく正しく自分自身に自信と誇りを持って戦わなければならないのではないでしょうか。そして、その場、その場での適応力ということも大切なことです。いつも小さな調整が必要になってきます。それはあるときはプレーを続けながらその中で、または、少し休んで落ち着いて、とにかくおかれ

 

 

た環境や条件の中でそれに適応していくことは、とても重要で

す。その反面、どうしても譲れない、しっかりとした自分のプレースタイルを貫くことも、また大切なことなのです。与えられている賜物を生かすことや自分の召命を果たすことは重要です。少しの風で、簡単に投げ捨てられるものではないのです。

 自分自身で大きなミスを犯してしまったり、自分の責任ではないと思えるようなことで失敗してしまっても、そこでゲームセットではないのです。私たちは、その場にとどまり続けるのではなく、前に向かって前進し続けていかなければなりません。過ぎたことにこだわり、くよくよしていても何の解決にもならないのです。それよりも後ろのものは忘れひたむきに前のものに向かっていかなければならないのです。もちろん、悔い改めるべきことは、しっかりと悔い改めなければなりません。そうすれば、私たちは失敗を教訓としそこから学び、それを益させていただき、何度でも立ち上がり前進してくことが出来るのです。 

 そして、忘れてはならないことは私たちはひとりで戦っているのではないということです。私たちに正しい戦い方の方法を教え、私たちがベストのプレーが出来るように助言を与えて下さり、最高のプレーへと導いて下さる、まるで親友のような方が、いつもずっといっしょにいて下さることを忘れてはならないのではないでしょうか。このようなことを、先週の深夜に、眠い目をこすりながら、考えさせられました。私たちも御国のThe Openを戦いましょう。                M.H 

 


2013年7月22日 

私は聖歌隊です

 

 

 イギリスのTV番組、タレント・クエスト(出演者が自分の特技を演技し、勝ち残っていく番組)に、ちょっとぽっちゃりした黒人の方が出演しました。まず、審査員が質問しました。

 どんな演技ですか。

 私は聖歌隊です、と返事しました。

 聖歌隊?ひとりで?他の人たちはどこ?彼らを食べたか、と審査員は非常に失礼に、太っている彼に言い返しました。

 はい、おいしかったよ、という意味で、指をなめて笑顔を見せたのです。

 お仕事は?

 牧師です。

 牧師?それでは、演技どうぞ!

 

   ★★★★★★★★★★

 

 私たちが経験する霊的な戦いについてこの頃度々話しています。悪魔や「もろもろの悪霊」の攻撃に目覚めなければ、私たちは負けてしまいます。サタンが来るのは「ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」敵は何を盗むのでしょうか。私たちの召命や主から私たちへの祝福を盗み、また、私たちが家族や隣人、そしてあらゆる民族へ流す祝福を盗みます。私たちが実を結ばないように、与えられた約束が成就されないように働いています。

 しかし、私たちはひとりでこのような攻撃に立ち向かうわけでもありません。多くの味方がいっしょに立っています。神さまはいろいろの名前がありますが、あまりなじみがない「万軍の主」~天にある軍勢の将~という名前がよく使われています。多くの御使いが私たちを守るために戦っています。旧約聖書に登場する預言者エリシャの話をいっしょに読みますが、このことば(Ⅱ列王記6.16)が私たちの心に刻まれたら素晴らしいです。

 

 

 恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから。

 

 また、ヨハネが惑わす悪霊に私たちがもう打ち勝ったと宣言して、こう言っています(Ⅰヨハネ4.4)~ 暗記しておいてください。

 

 子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。

あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいるあの者よりも力があるからです。

 

 そして、最後にもうひとつの励ましのことばを宣言したいのです。天の軍勢とは、直接に関係ないのですが、今日のマナです。聖書の中で、実を結ばない人や約束が実現しない人生は不妊の女としてよく例えられています。

 

子 どもを産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ、と主は仰せられる…あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。

 

 この三つのことばを今週繰り返して、宣言しましょう。暗記して、祈りや賛美の中で、使いましょう。悪魔に打ち勝った者として、歌声をあげて叫びましょう。

                                 G.F 

 


2013年7月7日 

生きる目的

 

 人が生きている目的ってなんですか?

 とっても大切な質問です。そして、多くの人がそのことに悩みその正しい答えを見出せないままに、惰性の中で、一生を過ごしてしまっているのです。また、見出したと思った答えが間違ったもので、それを信じ込み、人生を台無しにしてしまっているのではないでしょうか。

 自分が生きているその目的を知って人生を歩むことは、とても大切なことです。では、私たちの生きる意味はそして目的はいったい誰が決めるのでしょうか。誰も自分が生まれてきた時にこんなことをしようとかこんな自分になるぞといった決意をもって生まれては来ません。私たちの生きる目的を定められるのは、私自身ではなく、親に決められるものでもなく、それは私たちをお造りになられた神さまによるのです。そしてその神さまの約束にそって人生を歩むならその人生は間違いなく幸福で充実した人生を歩むことになるのです。

 私たちは、神さま愛し、神さまのみ言葉に従って神に仕え、そして人に仕えるために存在しているのです。キリストを信じ、キリストを愛し、キリストと交わり、キリストのみ言葉を行うために生まれ、また生きているのです。そして、私たちがそのために自分の全人生を使うなら、どんなに小さいことも神の栄光を現すようになり、自分自身が生きていることの大きな喜びと感謝にあふれるようになるのです。

 生きる目的を知るということは、それはまた、ある意味では、本当の自分自身を受けいれるということだと言えるのではないでしょうか。皆さんは、自分の価値について、

 

 

考えてみたことがありますか。自分がどれほど価値あるものであるのかということを皆さんはご存知でしょうか。世界中には、たくさんの人間がいます。また歴史上にはどれほど多くの人間が存在したことでしょうか。これから先どれだけ歴史が続いたとしても、あなたの人生は、ただ一人あなたでなければ生きられないのです。そんな、あなたでなければ生きられない人生を希望をもって生きるために、自分の人生の目的をしっかりと知り、目的に向かって目的ある生き方をしなければならないのではないでしょうか。

 私たちが生きる目的をもって、生きていくことはとても大切なことです。目的をもっていなかったり、あいまいなものであったら、私たちの人生は、まさに難破して波間を漂う船のようなものです。水面に浮かびあがって、あらぬ方向に漂いまた、沈みかけといったように。私たちは、しっかりとした目的があるから、たとえ失敗してしまったとしても、再び立ち上がるときに、正しい方向を向いて立ち上がることが出来るし、失敗しても、落胆しても、悲嘆に暮れていても、いつも生きる目的に向かって立ち上がって行けるのです。私たちは、生きる目的に向かって失敗し、生きる目的に向かって立ち上がることを忘れてはいけないのです。生きる意味を知り、目的を知って人生を歩もうではありませんか。そして、そんな生き方こそが本当の意味で自分らしい生き方なのです。

                               M.H