2013年, 9月のブログ

2013年9月22日 

祝・28周年~主の祝福の中を~

 

 

 一年一年、一歩一歩の積み重ねの中、わたしたちジーザス・ファミリーは28回目の誕生日を迎えました。教会を愛して下さっている天の父なる神さまは、私たちジーザス・ファミリーに大きな期待を持っていてくださるのです。これまでの祝福をひとつひとつ振り返るとき、また、これからのジーザス・ファミリーを神さまの視点に立って展望するとき、神さまの愛とあわれみ、そして、期待を感じずにはいられません。神さまの目は確かに私たちひとりひとりに注がれています。そんな大きな祝福の中で神さまを一緒に礼拝し、愛し合う家族、仕え合う家族としてともに素晴らしいときを過ごしましょう。

 ジーザス・ファミリーの28年という時を振り返ってみても、また、私たちひとりひとりの人生を振り返ってみてもそれは、まさに神さまの恵みとあわれみに満ちた日々というほかはないのではないでしょうか。 

 日々の出来事ひとつひとつの中には、つらいことも、悲しいことも、もう立ち上がることが出来ないと思えるような出来事があったでしょう。しかし、その時々に神さまは、どこにおられたのでしょうか。

 

 足跡という有名な詩があります。

 ある人が砂浜で自分の歩いてきた道を振り返ったら、ずっと自分と神さまの二人分の足跡が砂浜に残っています。しかし所々で足跡がひとり分になっているのを見ます。そしてその人は自分の人生を振り返って、そのひとり分しか足跡がない時は、つらく、悲しい患難の中を歩んでいた時だと気づきます。あーやはりあのときは神さまが自分と共にいなかったのだと。しかし神さまがその方に語りかけます。あのひとり分の足跡は、私の足跡です。その時私は、あなたを背負って歩いていたのです。と。

 

 

 

 

わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残り

の者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。

あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。    

イザヤ46章3~4節

 

 主はいつも私たちと共にいて下さったのです。私たちがまた教会が、どんなところを通っているときにも神さまは、私たちを背負い運んで下さったのです。そして、これから私たちが、どのようなところを通ろうとも、その時も神さまは私たちと共に歩んで下さり、私たちを運んで下さるお方なのです。主は私の救いとなられたお方であり、私の中におられる、大いなる方なのです。今日、私たちはそのお方に、賛美の歌をもって感謝をささげようではありませんか。

 

その日、あなたは言おう。「主よ。感謝します。あなたは、私を怒られたのに、あなたの怒りは去り、私を慰めてくださいました。」

見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

あなたがたは喜びながら救いの泉から水を汲む。

その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に

知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。

主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。

シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」   イザヤ12章

                                  M.H 

 


2013年9月15日 

私たちには、大切にしている10のSがあります

 

 

 Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 先日、家内がある高等学校の説明会に行って、聞いてきた、お話です。

 

 今、世界で英語が簡単になって来ている。一昔前、研究者や、博士の方々は、難しい専門的な英語で情報を発信し、発表していたそう。(さあ、お前ら、ここまで上がって来い!というような感じ)英語を母国語としない多くの人たちにとっては、そんな難しい文は、読む気にもなれない。どんなに素晴らしいことを書いていたとしても、見向きもしてもらえない。そして、多くの情報があふれている。そんな中で難しい専門的な文章ではなくて、多くの人に読んでもらいやすいように、できる限り簡単な英語で表現するようになってきているというのだ。

 

 その話を聞いて確かにこの世界の中の様々なことが複雑で難しくなっていて、本当に素晴らしいものに気付かなくなってしまっているのではないかと考えさせられました。

 イエスさまは言われました。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。私たちはいかがでしょうか、どこか福音を、信仰を子どもではとても理解できないような、受け入れられないようなものにしてしまってはいないでしょうか。自分自

 

 

身の思いの中でもまた人に伝えるときでも。いろんなこと

をあまりにも複雑に難しく考えてしまっているのではないでしょうか。人に福音を伝えるのにも、人のために祈る時にも、前に示した英語の先生のお話ではないけれど、ときどき私たちは傲慢になって、さあここまで上がってこいと言ったようなものになってしまってはいないでしょうか。

 そして、なんでも、複雑なことが良いことのように思ってしまってはいませんか。難しいことを知っていることだけで満足してしまって、実際に神の国を歩んでいないのではないでしょうか。私たちにとっては難しい神の国の事を知っていることよりも、単純で簡単な神の国を生きることが大切なのです。聖書を見たら、すごく単純に福音が語られていたり、人のいやしのための祈りであっても、もっと簡単に祈られていたりしているのではないでしょうか。私たちにとって、さまざまな知識を身に着けることは決して悪いことではありませんが、あまりに複雑になりすぎているのではないでしょうか。神の国とその義を求めなさいと言われています。そうすればそれに加えてこれらのものはすべてのものが与えられると。単純に神の国を求めて生きようではありませんか。また、日々の生活を考えて見てもそうではないでしょうか。本当に必要なこと、本当にしなければならないことというのはそんなに多くはないのではないでしょうか。信仰においても、日々の生活においても、簡単に、単純に生きようではありませんか。私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。

                               M.H 

 


2013年9月8日 

私たちには、大切にしている10のSがあります。

 

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 先週、私たちは霊的に生きるということをいっしょに考えて見ました。

 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。ヨハネ4:24

 私たちは天の父なる神さまを礼拝しています。外面的な形式的な礼拝ではありません。イエスさまが来て下さり私たちは場所的制限から離れて、何処ででもイエスさまによって礼拝出来るようになったのです。イエスさまにあって新しく生まれたものとして、イエスを信じるものの上に働く霊をもって神を礼拝するのです。

 私たちは御霊によって生きるものなのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。ガラテヤ5:25

 御霊に導かれて生きるってどういうことだったかを、どのように導かれるのかということを見てきました。

 

 今日は敏感であることについて、いっしょに考えてみましょう。

 神さまの語りかけ、働きかけに対して敏感であること、それは言いかえればいつも神さまの声を聞いて、神さまの御心に自分自身を合わせて生きていくことともいえるでしょう。

 

 

 しかし、私たちのまわりにはそのように神さまに敏感に聞くことを、妨げるいくつかの要素があります。そのようなものに自分自身とらわれてしまってはいませんか。

 もし、何か自分を神さまとの関係の中で鈍感にしているものがあったら、今日悔い改めてそれをとりのぞいていただこうではありませんか。

 また、神さまの素晴らしさに対して鈍感になってしまってはいませんか、あまりに便利になりすぎて神さまのみわざを見落として、いつの間にか感謝することを忘れてしまってはいませんか。私たちは、日々神さまのみわざに対して敏感でありたいのです。そして、日々の神さまの祝福を覚え感謝をもって生きていきたいですね。

 そして、私たちは人の必要に対しても、敏感なものでありたいのです。私たちのまわりには、さまざまな必要を覚えている、そんな傷ついた人や、病んだ人がたくさんいるのではないでしょうか、そのような人たちの必要に対して、無関心でいていいのでしょうか、私たちは、その必要を敏感に感じ取って、その必要に対して手を差し伸べていく者でありたいのです。いつの間にか人の必要に対して鈍感になってしまってはいませんか。あまりにいろんなものがありすぎて、日々の忙しさの中でまわりの必要が見えなくなってしまってはいませんか。私たちの神さまに対する敏感さや周りの人に対する敏感さを妨げているものを今日処分して、神さまにそして人に対して、敏感に生きようではありませんか。私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。

                                M.H 

 


2013年9月1日 

S・・どうしてSなの?って!

 

わたしたち、ひとりひとりは神様にあって特別な存在です。とっても愛されています。高価なものです。かけがえのないものです。そんな特別な存在です。

SそれはSpecialのS

私たちが大切にしたい10のSがあります。言い換えれば私たちはこんな生き方を目指しています。

 

Spiritual  *霊的であること:真の礼拝者

        *御霊によって生きるものとなる

           ヨハネ4章24節、ガラテヤ5章25節

Sensitive  *霊に敏感であること:神さまに

                                  (霊的であるために)

         *必要に敏感であること:隣人の、互いの

                             ガラテヤ5章25節

Simple  *簡単で、単純であること:

                    複雑な社会の中で

        *神さまだけを見る:神の国とその義 

                                 どうしても必要なことはひとつ

              マタイ6章33節、ルカ10章42節

Soft*受け入れる柔軟さ:新しいもの、良いも

                                            のへの変化に適応

         *皮袋をやわらかく        マタイ9章17節

Straight  *この世と調子を合わせない

                 *主にまっすぐ、福音にまっすぐ

                                ガラテヤ1章6、7節

Shine *光を放つ

        *闇の中で輝く生き方

                                 イザヤ60章1~3節

 

 

 Smile  *笑顔にあふれた生き方

           *好意的な対人関係

                                    箴言17章22節

 Smart  *人をひきつける、かっこいい者へ

           *聖霊さまによって、主の栄光を反映

                        させるそんな、スマートな生き方

                               2コリント3章18節

 Speedy  *必要に対し、すばやく動くすぐに動く 

          *無駄な動きを省く

                      マタイ4章20節、25章16節

   Strategically  *主を中心に戦略的に:

                                ハーフ・タイムの礼拝、LRM 

             *すぐれた指揮のもと一致して戦う 

                                   1コリント9章26節

                                  箴言20章18節、24章6節

 

  そして最後に、もうひとつのS SU・す=素 であること

  無理しない、作らない、そのままの自分が受け入れら

  れている。愛されている。いつもそのところにたって、そ

  んな恵みの中からキリストのかおりを!!

 

  今日から、何回かにわったて10のSの、一つ一つを

  ピックアップしていっしょに考えて見ましょう。私たちの

  生き方がそのように成長することを願って。              

 

                                                             M.H