2013年, 10月のブログ

2013年10月29日 

しっかり立つために

 

 今年の初めから、どのようにして悪魔に打ち勝つかということについて考えています。海流が激しい所を無理に横切って行こうとして、事故にあった先生の話から始まりました。悪魔が彼を殺しに来たのに、主が助け出したのです。そうです。敵が盗んだら、殺したり、滅ぼしたりするために来るのですが、イエスさまが私たちに豊かないのちを与えるために働いています。

 前回、「私は聖歌隊」というビデオを見ました。覚えていますか?黒人の指揮者が一人で舞台に立っていたのに、突然、他の歌手がたくさん劇場のいろいろな所で立ち上がって歌い出しました。私たちも多くの御使いに囲まれています。「私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者より多い」、そして、「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちいる、あの者より力がある」というみことばを通して励まされました。

 次に、悪魔の攻撃を退けて、主の恵みを自分のものにするために、エペソ6.10-18にある武具を着けるようにしましょう。まず、腰には真理の帯を締めるところを見ていきたいと思います。最初の武具、下着を締める物、基礎的なものです。根本的な真理をしっかり自分のものにすることです。テープシリーズの中で、使徒信条を見るLシリーズと、旧約にあるイエスに

 

 

ついての預言を見る「心が燃えたではないか」Mシリーズと、弁証学を見るUシリーズなどもありますが、今日、イエスが弟子たちに訪ねたところから考えていきましょう。

 「人々は人の子をだれだと言っていますか」

「彼らは言った。バプテスマのヨハネだと言う人もあり、エリヤだと言う人もあります。また他の人たちはエレミヤだとか、また預言者のひとりだとも言っています。」

 イエスについて、さまざまの意見がありました。神のもとから来られた教師(ニコデモ)、人をだます男やサタンの協力者(祭司長など)、気が狂った(身内の者)、大工の息子に過ぎない(ナザレの人たち)など、いろいろ言われました。

 しかしイエスが弟子たちに突っ込んで聞きました。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」

 私たちの来世の行き先を決める究極の質問でもありますが、今の戦いに打ち勝つためにも正しく答えなければならないのです。人をだます、気が狂ったと思ったら、初めから従わないでしょう。教師、預言者、キリスト教の創設者でありながら、立派な人間に過ぎないと判断したら、誘惑がある時に逃げるでしょう。でも、天からくだって来た唯一の救い主だと分かったら、すべての人が最後の審判の時に、イエスの前に立って、イエスに裁かれると分かったら、しっかり立つのではないでしょうか。

                              G.F

                               

 


2013年10月21日 

輝いてますよ

 

私たちには、大切にしている、10のSがあります。

 

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、

Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、

Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 私たちは、活躍しているスポーツ選手や、いつもにこにこして溌剌としているそんな人を見ると、あの人、なにか輝いているねと言うし、また逆に、スポーツ選手などが活躍できないときには、以前の輝きを失ったとか言ったりします。以前はもっと輝いていたのに、最近はちょっと・・・。などと。

 皆さんは今、輝いていますか?

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。

見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。

国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。 イザヤ60:1~3

 

 私たちは、闇の中で、光を放ち輝くものなのです。

そんな、私たちの輝きはどこから来るのでしょうか。それは、私たちが頑張って、努力して必死になって作り出す輝きではないのです。私たちの上には、主が輝いて下さり、私たちはただその輝きをこの世界の中に放っているだけなのです。その輝きはこの世界がよく言うような、輝いている生き方や、輝いている人とは違ったものなのです。それなのに私たちは、自分が自分の力によって輝くものであるかのように勘違いをして無駄な努力をしてはいませんか。

 ずーと以前の話ですが、子どもたちがまだ幼稚園に通っていた時だったと思います。家内が私に言いました。「なんか、幼稚園で会う、お母さんたちって、溌剌としていて、楽しいそうで、輝いているな」って。「私たちクリスチャンやのに、あの人らの方がなんか楽しそうやね」って。その時、私は思いました。なるほどそう見えるなと、そして、私たち、クリスチャンの多くは、クリスチャンはもっと輝いてなあかんはずや、もっと溌剌として、活躍して、元気になってと考えてそんな中で、何とか自分が自分で、輝こうと、一生懸命、元気を出して頑張って、そして疲れてしまっているのではないかなと。

 皆さんはいかがでしょうか、クリスチャンだから輝いていなければと必死になって、自分で自分を輝かそうとしてはいませんか。主が私の上に輝いて下さっているのです。そして、そのような行為はかえって逆に、主の輝きを自分の中から消してしまう結果になってしまうのです。

 私たちは、土の器です。それは決して完璧なものではなく、欠けだらけのものでもあるのです。そしてその欠けから主の輝きがこぼれ流れていくのです。自分の頑張りや、努力といった行為は、まるでその欠けを、何か汚い粘土で覆い繕っているようなものです。確かに丈夫そうに見えるし、欠けは見当たらなくなるかもわかりませんが、それは同時に主が働かれることの邪魔をしていることになるのではないでしょうか。私たちは、自分の弱さや未熟さを知って、それを主にゆだねなければならないのです、決して自分で自分をよくすることは出来ないし、自分の力で輝くことはできないのです。よしんばそれが出来たように見えても、それはこの世のものと同じように偽物の一瞬の輝きでしかないのです。

 あなた方は世の光ですと主は私たちに語ってくださっています。もうすでに主の輝きによって輝いているのです。さあ、その輝きをこの闇の世界の中で放って生きようではありませんか。

私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。                   M.H

 


2013年10月16日 

合同聖日礼拝

 

 

 今日は、京都国際会館で合同聖日礼拝です。そしてその礼拝の映像がインターネットを通じて全国の教会にリアルタイムで配信されています。私たちも心を合わせて日本中のクリスチャンと共に礼拝をささげましょう。

 

エンパワード21実行委員長菅原亘先生の励ましのレポートです。

 

 新しい日本の霊的幕開けであります。特に13日の全国同時中継の聖日礼拝は初の試みであり、近代技術のおかげであります。このような技術を用いれば過去に何十年かかってできたことが、わずか数日でできてしまうこととなります。
 時間の短縮は結果的に同じ一生でもかつての何十倍の働きが可能となります。この時間の短縮と多量の情報、知識の同時発信は、短時間で福音を世界に届けることが可能です。今は、まさに情報合戦の時代です。粗悪な情報も多数発信されます。悪魔も人の罪を利用して、この技術で攪乱戦法を取っています。惑わしの時代の到来が預言されていますが、今がその時代です。聖書のことばと教えに固く立っていないと、惑わされてしまいます。
 世界の政治、経済、軍事、宗教間対立、エネルギー、食糧確保、国益優先主義が、カオス状態を拡大させています。ますます、人の愛は冷え、不法が拡大して行きますが、同時に神の国も拡大して行きます。天地創造のときにも闇とカオスの状態でありましたが、神様が「光よあれ!」と宣言されたときに、光が出来ました。新しい創造と秩序が始まりました。
 私たちクリスチャンも信仰によって創造的で肯定的に満

 

ちたことばを宣言しましょう。今日も新しい一日が始まろうとしています。この一日はすべての人に等しく到来しています。不公平はありません。アダムがすべての生き物に名を付けたように、私たちも新しい一日に命名しませんか。
 「今日は勝利の日だ。今日は幸いに満ちた日だ。今日は感謝に満ちた日だ。今日は新しい出会いの日だ。今日は今日は問題解決の日だ。今日は喜びと賛美に満ちた日だ。今日は新しいビジネスチャンスの日だ。、、、」このように新しい一日の始まりの朝に、宣言するのです。ことばは力なのです。
 霊は宣言やことばを媒体にして働きます。悪魔は悪い不信仰なことばを発信して人を惑わします。人はことばで傷つき、ことばで殺されます。この原理を正しく用いなければなりません。神様のことばを語りましょう。ことばで人は勇気が与えられ、元気にされ、癒されます。ことばは力です。正しいことばは神様の霊を運ぶ翼です。
 何も描かれていない、真っ白なキャンパスにどのような絵を描くかは、画家たち自身に任されています。そのように、何も描かれていない、新しい一日に何を描くかは私たち自身に任されています。素晴らしい勝利と幸いと祝福、成功の絵をことばによって描きましょう。
 日本は変えられて行きます!いよいよ日本が再び信仰によって復興する時がやって来ました。400年の眠りから目覚める時が来ました。殉教者の信仰のスピリットが復活する時です。日本再生はまずクリスチャンから、教会から!
 NHK大河ドラマも今年は「八重の桜」でプロテスタントを描いています。来年は「黒田官兵衛」です。キリシタン大名となった人物です。何か預言的な思いが胸をよぎります。          


2013年10月6日 

まっすぐに

 

私たちには、大切にしている、10のSがあります。

 

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 柔軟で、しなやかな考え方、やわらかいハートを持つことはとても大切なことです。主はいつも新しいことを成され、私たちの思いを越えたことを私たちのために成してくださるからです。そんな主の素晴らしい御業を受け取るために柔軟でありたいものです。自分の経験や固定観念、自分の正しさに固執することは、往々にして私たちから柔軟さを奪い、私たちを硬直させてしまうものとなってしまいます。先週、そんな柔軟さについて考えました。私たちは柔軟な生き方をしたいものです。しかし、だからと言って何でもかんでも、柔軟に対応し、何かれ構わず受け入れていいわけではありません。当然、私たちには、まげられないまっすぐに突き進まなければならない事柄もあるのです。福音は、曲げることはできません。福音を自分の都合で変えてしまうことはできないのです。福音になにか別の福音があるわけではないのです。私たちは、違った教えを受け入れることはできないのです。私たちは、このところでしっかりと固い頭を持つ必要があるのではないでしょうか。曲げられるものと曲げられないものがあるのです。

 

 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。

ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。 

                      ガラテヤ1:6~7

 

 また、私たちひとりひとりには主の、素晴らしいご計画があり、主が与えて下さる召命があるのです。主が、私たちに用意して下さっている、そんな人生を私たちは、まっすぐに歩んでいきたいものです。まっすぐに進んでいけば、同じ時間でより遠くまで進んでいけるし、同じところまでより早く進んでいくことが出来るのです。人生は、紆余曲折いろんなことがあります、ときには回り道が必要なこともあるかもわかりません。しかし、主に従っていくことにおいて私たちは、はっきりと決心して歩んでいかなければならないのではないでしょうか。主の道をまっすぐに歩んでいくんだ、と。しっかりと目を主に向けて主だけを見上げて歩む人生は、最も素晴らしい人生だと言えるのではないでしょうか。そのように歩んでいく中でたとえ、何かにつまづいたり、失敗したと思えるようなことがあったとしても、立ち止まったり、回り道していたとしても主はそれらのことも益としてくださるのです。主を見上げてまっすぐに歩んでいるのなら。

 

 今日から決心しようではありませんか、主だけに目をとめまっすぐに歩むことを、福音をまっすぐに信じて、信仰にまっすぐに歩み、自分の召命にまっすぐに生きようではありませんか。

 私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。              M.H 

 


2013年10月1日 

皮袋は柔らかく

 

私たちには、大切にしている、10のSがあります。

 

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 柔能く剛を制す。ということわざがあります。

やわらかくて、しなやかであるものが、手ごわく強いものを抑えてしまうというような意味でしょうか。どのような事柄にたいしてもしなやかに応答し、ソフトに対応できることは大切なことではないでしょうか。特に今の世界の中でそんな柔軟性が必要なのではないでしょうか。そして、もちろんその柔軟性は、軟弱で優柔不断で自分勝手な、いい加減なふにゃふにゃしたようなものというのではなくって、しっかりと、イエスさまに、つながり信仰という一本筋の通ったものであり、聖霊さまに導かれてあるものでなければなりませんが。

 

 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。とイエスさまは言われました。

どうしてでしょうか?

 だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。 

 

 新しいぶどう酒が皮袋の中で発酵し、柔軟性のなくなった古い皮袋を破ってしまうからです。柔軟な頭、ハートを持って主に仕えていきたいものです。

 私たちも柔軟さがなくなっていたら、新しいものを受け入れることが出来なくなってしまうのです。新しいものがこぼれおちてしまうだけではなく、皮袋もだめになってしまうとあるように私たち自身がだめになってしまうのです。

私たちは、どうしても、慣れ親しんだ居心地の良い環境や、自分の固定観念、ひとつの考え方の中で凝り固まってしまって、いつの間にやら、柔軟さをなくしてしまっているようなところがあるのではないでしょうか。

 そして、それを強調し、主張するあまり人をさばいてしまったり、素晴らしい良いものを受け入れることが出来なくなってしまっていたりしていませんか。それがやがては自分自身を滅ぼすものとなってしまうのです。

 私たちは柔軟に神さまからの良きものを受け取り、そしてこの家族の中で柔らかくしなやかで強いそんな良き人間関係を築いていこうではありませんか。また、私たちの置かれている、遣わされている、それぞれのところにおいても、柔軟に人々と接して、神さまのかおりを放っていこうではありませんか。

 私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。

   

                               M.H