2013年, 12月のブログ

2013年12月29日 

こおどりして

 

 2013年もいよいよ大詰め。今年最後の礼拝になりました。

 

 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。詩篇103:2

 

 この1年、皆さんそれぞれにいろんなことがあったことでしょう。

 今年も1年が過ぎ去ります。それは自分の人生の残りの時間が、それだけ短くなったということを忘れては、いけないのではないでしょうか。私たちは、与えられた人生という時間を、どのように生きるのか、有意義に充実した歩みをするのか、それともただ浪費してしまうのか、それによって大きな差が生まれるのです。皆さんの人生は皆さん自身でしか歩むことのできないものです。人がどのようにしても、 どうがんばっても、それをまねることはできません。皆さんそれぞれに与えられた可能性があり、備えられた大きな祝福があるのです。周りの状況に流されて歩むのではなく、しっかりと神さまに信仰の目を上げて、自分自身にとって最善の歩みをしたいものです。

 

 主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。詩篇28:7

 

 神さまが私の力となり、盾となり、助けて下さったことを忘れないようにしたいものです。そして、新しい1年を、

 

 

こおどりして喜び、歌をもって感謝し迎えていきたいものです。

 

 年末の慌ただしい時ですが、第一のものを第一とするその土台から外れることなく、しっかりと心を神さまの前で静めて、新しい年に期待し、祝福を祈りましょう。

 

 1年間ありがとうございました。私たちジーザス・ファミリーが家族として支えあい仕えあい、励ましあって、来られたことを互いに心から感謝しましょう。いつも、祈りによって、奉仕によって、実際的なサポートを通して、そして何より私たちお互いひとりひとりの存在によって、ジーザス・ファミリーが、この家族が支えられてきたことを覚えて感謝しましょう。

 そして、何より私たちをその真実な愛をもって、いつも導いて下さった神さまに感謝を捧げましょう。

 さらに新しい年、私たちは互いに愛し合う家族として共に成長しつつ、ひとつとなって、主の御国のために働きましょう。

 皆さん、よいお年を!

                              M.H 


2013年12月26日 

国々を覚えて、メリー・クリスマス!!

 

Christmas List

Do you remember me?

あなたの膝で 願いことをした日のこと

大人になったけれど 助けてくれますか?

子どものように まだ夢を見ている

どうしても叶えたい 願いがあるの

私じゃなく 必要な人に

戦争が起きないように 引き裂かれないように

時よ癒して 友達がいて

正義が勝つこと 愛は終わらない

これが私のChristmas List

 

 

この幻想を無邪気だと人は言うけれど

一途な思いの中だけに

真実は見えるの

 

 

これが私のChristmas List

あきらめてはいけない

わたしたちのChristmas List               

                平原綾香Christmas List 

              原作詞・作曲:David Foster

                     訳詞:吉元由美

 

 

 クリスマス。神さまの恵みを覚えるとき、感謝と喜びでいっぱいです!

 私たちには、いつも、不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる方が共にいて下さり共に歩

 

 

んで下さっています。どんなことがあっても決して私たち

を見捨てることはありません。神さまは永遠の愛を持って私たちを愛して下さっています。

 

 でも、私たちはそれだけでは終われません。

 今、祈りたいのです。捧げたいのです。国々のために。国々にクリスマスの祝福が広がって行くように! あなたの今年のクリスマスリストは?

 

 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。

 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」 

マタイ4:16~15

 

 今このクリスマスの時、コティに、ムワニに、シュラムに、これが私たちのクリスマスリストです。

 今日、私たちは心を合わせて、国々を覚えて祈りましょう。私たちが、いただいた大きな、大きなこの祝福が、今このときに国々にまであふれ流れていくように、現在のゼブルン、ナフタリ、ガリラヤの闇の中にすわっている民が偉大な光を見、その民の上に光が上ると宣言しましょう。

 国々を覚えて、メリー・クリスマス!!

 

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。   

                              M.H         


2013年12月15日 

主の御使いがあらわれて、「あなたの願いは聞き入れられた」さらに、その祝福をあなたに語られたら、皆さんだったら、どんな反応をするでしょうか。

 ハレルヤ!主は素晴らしい。感謝します!と受け取りたいものです。

 決して、ザカリヤの様な反応はしたくありませんよね。自分の考えや知恵で、判断してしまいたくはありません。確かにザカリヤに言っていることは、納得できます。しかし今まさに、ザカリヤに語ったのは、主の御使いであり、主ご自身が、御使いを通して語られたのです。

 私のことばはその時が来たら実現します。その時まで、私たちは不信仰を語りたくはありません。もし不信仰を語るなら、私たちの口が閉じられてしまうのです。信仰をもって語るものでありたいです。

 今年のクリスマス、神さまが私たちに下さった、素晴らしい知らせを、最高のプレゼントを信仰をもって私たちひとりひとりの置かれたところへと届けていきましょう。23日のセレブレーションが祝福され、多くの人々が最高のプレゼントを受け取り、最高のプレゼントを主に差し出すそんなときとなることを信じます。アーメン。

 

 神の国の経済

 

 今ここに、雪の塊があるとします。それは、手の中に収まるほどの真っ白な小さな雪の球です。雪合戦に使うほどの大きさのものです。その雪の球を、雪のグラウンドに転がすと一周を回って元の自分のところに帰ってきま

 

 

す。その時この雪の球はどうなっているでしょうか?答えは、簡単です。大きくなって帰ってきます。雪だるま式に。

 神の国の経済は、そのようなものです。私たちが与えるものは、すべて私たちのところへと戻ってくるのです。それは、しかも雪の球の様に大きくなって戻ってくるのです。

 なぜなら、私たちが、与えること、献金をささげること、種をまくことに従順なら主の祝福と共に戻ってくるからです。神さまの方法はそのようなものです。

 私たちが神さまに従ったら、私たちは祝福されます。十一献金をするなら、天の窓が開かれ、食い荒らすものが退けられます。与えるときに、与え返されます。多くの種をまけば、多くの収穫を得ます。パンを水の上に投げれば、のちの日にそれが帰ってきます。貧しいものに与えるとき、主がそれを返してくださいます。ばらまくとき、富がまし加わります。寛大で、おおらかに生きるとき、豊かになります。他の人々を潤すとき、自分を潤すことになるのです。

 雪の球が、汚れている雪面を転がるとき、その雪面の汚れを取り除き雪の球が通ったところを真っ白にするようにくように、私たちが与えるものは、ただ大きくなって自分の祝福となるだけではなく、人々の祝福となり、さらに与えたもの自身の大きな祝福となって帰ってくるのです。

 そんな神の国の経済の原則の中で、私たちは生きようではありませんか。                   M.H

 


2013年12月8日 

戦略的に

 

私たちには、大切にしている、10のSがあります。

 

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、

Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

 スポーツ観戦をしてみましょう。

 サッカーの試合です。ひとつのボールを追って二つのティームの選手たちが、団子のように入り乱れています。その中からボールが蹴りだされまたみんながそれを追いかけて一塊になっています。反則もコートの制限もないように感じられるゲームです。

 もう一つ別の試合が行われています。こちらの試合でも、ひとつのボールは同じですが、それぞれのティームの選手たちはグランドのあっちらこちらに散らばり、ボールの動きに合わせ自分のポジションを取り、走る速さも違えば、動きも複雑で、それでいてティーム全体は統制のとれた動きをしています。そして、笛の音に従ってゲームは運ばれています。一定のルールに従ってゲームがなされているのです。

 もしみなさんが観戦するのならどちらの試合を見たいでしょうか?もし自分がゲームに加わるのなら(自分の技量はさておき)どちらの試合に加わりたいでしょうか?どちらの試合のティームの方が強いのでしょうか。

 さて、この二つの試合の違いはなんでしょうか。

 一方はルールもなければ、作戦・戦術といったティームとしての戦略も何もないのです。ただそれぞれがボー

 

ルを追っているだけです。もちろん試合をしているのですから勝ちたいという意識はあるのかもしれませんが、それすら怪しく見えてしまうようなものです。

 

 教会というティームは、どうでしょうか、クリスチャンとして私たちはどのように、今この時々の、試合を戦っているのでしょうか。ただ、目の前にある祝福というボールを個人個人が追い求めて、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、団子になって走り回っているのでしょうか。

 私たちの戦っている試合は、ただ単に自分の祝福をどん欲に求めることがゴールなのではないのです。そんな試合は、いくら頑張ってみても、すぐに、楽しくない、つまらないものになってしまうのではないでしょうか、しかも、そんな試合を見ている、私たちのまわりの未信者の方々から見ても、それはつまらないものと言えるのではないでしょうか。

 私たちは、今このときにそんな試合をするためにティームとして召集されたのではないのです。私たちは、戦略的にルールに従って、祝福というボールをティーム、みんなで共有しそれを最終ゴールにまで運んで行こうと戦っているのです。

 そのために、ひとりひとりが必要だからこそ今ここに集められているのです。そして、主にある戦略、私たちジーザスファミリーに与えられている戦略で戦うのです。

 さあ、いっしょに、見ている人たちをうならせ、あんなゲームをプレーしたいと思わせるような、素晴らしいゲームをつくって行きましょう。

 私たちひとりひとりは神さまによって造られたSpecial(特別)なものなのですから。              M.H

 


2013年12月3日 

すばやく

 

私たちには、大切にしている、10のSがあります。

Spiritual(霊的な)、Sensitive(敏感な)、Simple(簡単な)、Soft(柔軟な)、Straight(まっすぐな)、Shine(輝く)、Smile(微笑んで)、Smart(かっこよく)、

Speedy (敏速な)、Strategically (戦略的な)

 

でももう遅かった

 

むかし、父さんに笑いかけたよね。

僕の方を見てくれると思ったんだ。

でも見なかった。

 

父さんに「愛してる」っていたよね。

聞いてくれると思ったんだ。

でも聞いてくれなかった。

 

外で一緒に野球しようっていたよね。

あとから来てくれると思ったんだ。

でも来てくれなかった。

 

父さんに見てもらいたくって、絵を描いたよね。

大事にとっておいてくれると思ったんだ。

でも捨ててしまった。

 

ある日、裏の森に砦をつくったよね。

一緒にキャンプしてくれると思ったんだ。

でもしてくれなかった。

 

一緒に釣りに行ってもらいたくって、ミミズを集めた。

父さんも行きたいだろうて思ってたんだ。

でも行きたがらなかった。

 

僕の考えをいろいろ聞いてほしかった。

父さんも聞きたいだろうと思ったんだ。

でも間違いだった。

 

父さんに来てほしくって試合の事を話した。

きっと来てくれると思ったんだ。

でも来てくれなかった。

 

子ども時代を父さんといっしょに過ごしたかった。

父さんもそうしたいだろうと思ったんだ。

でもふりむいてくれなかった。

 

徴兵の命令が僕に届いた。

父さんは無事に帰ってきてほしいっていたね。

 

でも、もう遅かった。

       (スタン・ゲバート、心のチキンスープ2より)

 

考えてしまいます。  いつやるか、今でしょう!

ペテロとアンデレは網を置いてすぐに従いました。

5タラント預かった者は、すぐに行ってそれで商売をしました。

                 いつやるか、今でしょう!

                              M.H