2014年, 4月のブログ

2014年4月22日 

~ なぜ泣いているのですか

 「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。」 ハレルヤ!
 イエスさまは暗い墓の中にとどまってはおられませんでした。
 ラッパが鳴り響き衛星放送のテレビクルーが墓を取り囲み大観衆が見守る中でイエスさまはよみがえられたわけではありません。復活の朝は、静かにだれにも知られず(数人の番兵たち?以外)、そうです、十字架につかれるまでイエスさまといっしょにいた弟子たちも知らない間にしずかにやってきたのです。しかし、その十字架の死と復活は、全世界をそして、あなたの人生をひっくり返したのです。

 今日はイースターです。イエスさまの復活をいっしょに祝い楽しみましょう。
 そして、その復活の力は今日、私たちのものなのです。

 復活の朝、マグダラのマリヤは、空っぽの墓の前でたたずみ泣いていました。
 希望がなくなった。悲しい。先行きが見えない。不安。これから、どうすればいいんだろう・・。
 私たちの人生のように・・・。
 「なぜ泣いているのですか」と声が聞こえます。私たちも様々な状況の中で、泣きたくなるような人生を歩んではいませんか。先行きの不安、老いや病、死に対する恐怖、人間関係のこじれや孤独、夢を見失い失望し、傷ついた心。・・・・どうして、こんな人生なのだと、気が付いた
ら愚痴ってしまっている自分はいませんか。

 マリヤは答えました。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」これは、私たちすべての人間の答えではないでしょうか。主が見えていないのです。私たちは主と共にいなければならないのに、主を見失っているのです。共にいるはずの主がいないのです。私たちの罪のために主との交わりがたたれてしまって、主の祝福を受けることが出来ないのです。これこそが、私たちの泣きたくなるような問題の原因なのです。逆に言えば、私たちが主といっしょに歩むなら、そこにすべての問題の解決があるのです。主の祝福の約束があるのです。もう、泣かなくていい人生があるのです。
 「だれを捜しているのですか」と声が聞こえませんか。
あなたのために、あなたの罪をその身に負ってくださり、十字架にかかり、あなたの身代わりとなって死んで下さり、死と闇の力を打ち砕きよみがえって下さったイエスさまが、すべてに勝利を勝ち取ってくださったイエスさまが、あなたに語りかけて下さっているのです。「なぜ泣いているのですか、もうすべてに勝利した私がここにいるよ。」と。
 今日、あなたが探し続けていた方(それは、あなたの夢、希望、命でもあるのです)が、あなたの名を呼んでおられるのです。
 死が、暗闇が、打ち砕かれた、復活の朝。あなたを愛してあなたを見つけてあなたの名を呼んでくださるイエスさまの声にあなたは、どのように答えるのでしょうか。
                               M.H      


2014年4月13日 

~ 本当に残る報い

 ありとあらゆる情報が、氾濫し、私たちの興味をそそるものがいっぱいあふれている、今の世の中。私たち自身が自分をしっかりとさせていないと、私たちの人生は、ただ興味のあるものに目を奪われ、あれがいいこっちが面白いと言う人の意見に迷ってばかりで、無目的な人生を送ってしまいます。
 そうなってしまっては、私たちの人生がたんなる浪費でしかないものになってしまいます。
 自分の人生がどうあるべきか、ということを考えたことはありますか。日々の忙しさに追われて、そんなこと考える余裕もないとしたらとても残念なことですね。
 自分自身、本当に何がしたいのか、意識しているのでしょうか。自分にとって一番必要なものが何なのかを知っていますか。はっきりとした価値観をもって人生を歩んでいるのでしょうか。
 私たちは、正しい価値観をもって、その価値観に貫かれた人生を歩みたいものです。

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。とイエスさまは言われました。

 私たちの生活がどんなに豊かそう(全世界をも手に入れているかのように)に見える人生を歩んだとしても、肝心のいのちが、神さまの前に保証されていなかったら、これほど皮肉で、むなしいものはありません。
 私たちの人生の真価は、何に問われるのでしょうか。人生の歩みの中で立派な経歴、多くの収入、富や名声

をどれほど得たとしても、それらは、はかなく、むなしいものです。私たちの人生を通して人々に伝わる精神にこそ真価があるのではないでしょうか。何を伝えたか、人々に何を残したか、それこそが、私たちの真価をはかるものなのです。
 そして、私たちは、どのような人生を歩み、どのような仕事をしていたにしても、そこにはそれ相応の報いを受けます。私たちにとって本当に残る報いとはどのようなものなのでしょうか。
 自分の命のために生きる、富や名声、地位をひたすら求めて、それをうまく得て生きることと、本当に残る報いのために、自分の人生を神さまの前に捧げて、神さまの御心に従って生きていくこと、私たちは、そのどちらの人生を歩むこともできるのです。
 冒頭にも書きましたが、情報や興味を引くものがあふれたこの世界の中で、自分が何をしたいのかをいつも問いかけ、一番必要なものは何なのかを知って、しっかりと霊の目を見開いて、神さまに従って歩んでいきましょう。
                               M.H      

 

~復習:*今日のメッセージであなたの心に一番響いたこと
はなんですか
*あなたが気を付けなければならないパン種は、どの
ようなものですか
*人間的な思いによって、みこころに逆らってしまっ
ていることはないでしょうか
*35,36節を思いめぐらせましょう
予習:*マルコ9章を読みましょう
 


2014年4月6日 

~ 下って行く途中

 歴史のクライマックスが近づいています。悪と不信仰が増し加えられながら、福音が地の果てまで広がっています。救い主を認めて、永遠のいのちを受ける人たちとそれを拒む人たちが対照的です。見えない、霊の世界の中で、私たちに宿る聖霊さまと私たちから救いを奪いたいサタンが敵対しています。私たちも覚えずその霊的な戦いに絡んでいます。
 聖書が教える霊的な「武具」~大盾、かぶと、剣~ は比ゆ的な表現ですが、私たちが霊的な戦いにおかれているということは決して、比ゆ的ではありません。実際に、悪魔がずる賢い策略をもって、私たちを惑わそうとしています。攻撃をうまく退けていない、信仰を失っている友人を私たちはみんな持っています。ですから、私たちがそうならないように、「武具」をまず理解してから、次に着けていきたいのです。
 いろいろな預言者は似たようなイメージを見ています。戦いに向かって行くクリスチャンの軍隊が武具をちゃんと着ていませんし、剣などもなくて、あるいは、さびています。整えていませんので、ドンドン負けてしまいます。そのような話を聞いて、私は信者を戦いのために整えるように主から命じられているように感じています。
 一週間おきの昼過ぎに、聖書研究を行っています。エペソ6.14-17にある、一番目の武具、真理の帯につ
いて、学んでいます。そして、着けて

います!今週のメッセージを通して、次の武具、正義の胸当てについて考え始めたいのです。でも、今まで参加していなかった人たちも、今日しか出られない人たちも全然問題はありません。さあ、始めましょう!
 1番目に、すべてのことは「ことば」であるイエスから始まります。初めに、ことばがあった。ことばは神であった…すべてのものは、この方によって造られた。(ヨハネ1.1-3)また、神は仰せられた。「光があれ。」すると、光があった。(創世記1.3)
 2番目に、イエスがすべてを完成してくださいます。語ったことばを実現させます。あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1.6)
 3番目に、1番目の「創始者、ことば」に対する信仰と、2番目の「完成者」に対する望みは私たちを導き、しっかりさせ、そして清めてくださいます。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。へブル6.19
 ある役人の息子が死にかかっていました。イエスはお父さんに言われました。「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことを信じて、帰途についた。彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。(ヨハネ4.50-51)私たちは、みんな「下って行く途中」です。ことばをもらって、そして信じています。見ていても、見ていなくても、息子が直っています!    G.F