2014年, 6月のブログ

2014年6月29日 

~  ところがすでに

 2014年も半分が終わりました。皆さんどのような半年だったでしょうか?
 私たちは、今年の初めのアガペ研修会の時に、この一年をジーザス・ファミリーのさらなる前進のためのリセットの年と示され、教会がそして、ひとりひとりが信仰において、また生活のすべてにおいて今一度、主の前に出てリセットすべきものをリセットしています。皆さんは順調にそれが進んでいますか?7月13日の礼拝とその午後に、アジャスト集会(ミニアガペ研修会)を持って、すこし調整するときを持ちましょう。
 そんな中、私たちはマルコの福音書をいっしょに学んできました。今日は16章で、いよいよ最後の章になりました。ここまで主が皆さんおひとりおひとりに語って下さり励ましとチャレンジを与えて下さっていると信じます。
 さて、誰でも人生の中で大きいか小さいかは別にして失望を覚えることはあります。頭の中が混乱してしまってどう対処していいかわからないような問題にぶち当たることもあるでしょう。そのようなとき私たちは何を見ているのでしょうか。何に目を注いでいるのでしょうか。
 イエスさまがよみがえられた朝、今までイエスさまに望みをおいて、従ってきた女の人たちが、墓に葬られたイエスさまに油を塗りに行こうと、失意の中墓に向かっていました。その時、彼女たちには大きな問題がひとつありました。墓の前においてある、墓をふさいでいる大きな石をどうやって取りのぞけばいいのだろう。自分たちの行く手をさえぎる障害となるものをどうやって取りのけようか、誰かそれを取り除けてくれる人がいるだろうかと話しながらやって来たのです。ところが目を上げてみたらそれはわきに転がされていました。目を上げてみたときすでに、問題の石はとりのぞかれていたのです。
 私たちは、どうでしょうか、彼女たちと同じように自分の行く手をさえぎるような問題が起こったとき、失意を覚えているそ

のような時に、自分の力や、思いの中でどうしようかと考えたり、人手を頼りにしたり、問題について話し合ったりして途方に暮れているようなことはないでしょうか。それでは、いつまでたっても問題の解決を見ることはできないのではないでしょうか。私たちもしっかりと、問題に直面しなければならないのです。問題の墓から目をそらすのではなく、問題そのものに直面したとき、そして神さまに目を上げるとき、そこに解決があるのです。
 行く手をさえぎっている墓の石という問題はとりのぞかれました。しかし、その墓の中には、イエスさまはもうおられなかったのです。彼女たちが思い描いていたこと、つまり、イエスさまに油を塗ることはかなわなかったのです。イエスさまは、勝利しよみがえられていたのです。私たちも問題に直面し、その障害が取りのけられたとしても、決して自分が思い描いた通りになるとは限らないものではないでしょうか。しかし、私たちがしっかりと主に目を上げて進んでいくなら主は私たちにベストをなしてくださるのです。主に信頼して主に目を上げて前進して行きましょう。       
                                   M.H

 

~復習:*今日のメッセージであなたの心に一番残った
ことはなんですか。
*直面することから逃げている問題はありませんか
*あなたはどのようなイエスさま探しているのでしょうか
*マルコの福音書をもう一度読みましょう
*予習:13日のアジャスト集会に備えて祈りましょう


2014年6月22日 

~ ワンハート

 太鼓の合図にあわせて、生徒たちが一斉に動き出し、さまざまな形を作り出していく、組み立て体操。見ていて感動しました。素晴らしい統率力と、力の限りを振り絞って取り組むひとりひとりのひたむきさそして互いの信頼感はとても、美しいものでした。先日行われた、中学校の体育祭での事です。 
 しかし、それほどまで、きびきびと動けて、一糸乱れぬ団結力はいったいどこから来ているのだろうと考えてしまいます。彼らは、ここひと月ほど、毎日体育の時間や放課後にとてもハードに練習したそうです。練習、訓練の成果であることは間違いありません。
 でも、きびきびとした統率のとれた動きに、私は、何か違和感を覚えました。そこにピリピリしたものが漂っているように感じたのです。彼らのその動きの動機の底には、ちゃんとやらなければ、自分が間違ったら、先生に怒られる、自分が失敗すれば人に迷惑をかけてしまう。だから緊張しながら、必死にやっているような?恐れが支配しているように感じられました。
 別に、だからと言って、その組み立て体操を批判しているのではありません。先にも書きましたが、とても素晴らしく感動するものであったことは間違いありません。そして、やり遂げた生徒たちにとって、達成感は、中学生活の中でかけがえのないひとつの経験となったことでしょう。
 私たち、教会も神さまに従っていくものとして、そんな達成感を味わいたいし、また人に感動を与えるような生き方をしたいものだと思います。私たちは、怖い先生がたたく太鼓の合図にあわせてではなく、神さまの御声に従って動き出すものです。その御声にあわせて、ひとりひとりが、きびきびと、そして一つとなって、神さまに従っていけたら素晴らしいですよね。
 ただ、私たちは、先ほどの違和感のように、神さまが怖いから何かをするといったように恐れによって動いたり、失敗して人に迷惑をかけてしまいたくないからとか、人からどのように見ているかと言うことにこだわって、いつも自分をいい子に見せようとして動くようなものとしてではなく、私たちは神さまの愛に動機づけら

れて、動くものでありたいものです。ただ、神さまに愛され満たされているから、その愛ゆえに神さまを心から何よりも愛しているから、そのような者だから、喜んで神さまの御声に従います。神さまの愛を動機として、神さまにあって一つとされている確信の中で、いっしょに、御国のために働こうではありませんか。
 組み立て体操の中で八段のピラミッドを作る時がありました。一番上に上る子が勢い余って落ちそうになったとき、下で支えている子たちが、ある子は足をある子は腰をつかみ、必至で何とか落ちそうな子を上によじ登らせようとしていました。また、一番下で土台となっている子たちは、時間がたつにつれ顔をゆがめ、腰が砕けそうになっても、それでも何とか踏ん張って声を掛け合っていました。それは、まさに何としても成功させたい、みんながひとつとなって仲間を助けたいということがにじみ出ていました。
 ひとりの仲間が落ちそうになっている、それを周りの人が全力で支えているって本当に麗しい姿です。
私たち教会も、神さまの愛によって結び合わされたもの、ティームです。組み立て体操を行っているわけではありませんが、ひとつの目的のために全力を尽くし、それを成し遂げるものです。そのために互いに信頼し、助け合って働くものです。

見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。
そこにとこしえの祝福があるのです。

 今日はワンハートです。私たち、ひとりひとりが神さまの御心を追い求め、御声を聞いて行く時です。日本の教会がひとつ心になるように祈りましょう。また私たちジーザスファミリーが、同じものを見て同じハートで、いっしょに前進して行きましょう。
                                   M.H

 


2014年6月15日 

~父子の親密な時間

 今日は父の日、お父さんたち、どれくらい子どもと時間をとっているでしょうか?何人かのお父さんに子どもと一日どれくらい会話をするかと聞いてみたら、何分くらいだと思いますか予想では平均40分だったそうです。しかし、実際に調査してみたら、なんと38秒という結果が出たそうです。
 
「猫はゆりかご銀のさじ」というひとつの詩を紹介します。
 
 私の子供が生まれて来たのはついこの間、ごく当たり前にこの世に来たが、親の私は暮しのために追われる毎日、この子が歩けるようになった時も、私が留守で留守の間に言葉を覚えた。成長したらこう言った。僕はパパのようになるよきっと。そうともパパのようになるんだ。
 猫はゆりかご銀のさじ。そらには大きなお月様。パパいつ帰る?さあ分からない。かえって来たら一緒に遊ぼう。その時楽しくやろうじゃないか。
 息子は10才、お土産のボールありがとう。一緒に遊ぼう投げ方を教えて。今日はだめだよ忙しくって。それならいいよ。笑顔を見せて立ち去った時にその目が私にそう語りかけた。そう。僕はきっとパパのようになるよ。
  猫はゆりかご銀のさじ。そらには大きなお月様。パパいつ帰る?さあ分からない。かえって来たら一緒に遊ぼう。その時楽しくやろうじゃないか。
 息子は育ってもう大学生。すっかり大人で1人前。さあ息子よちょっと座って話そう 息子は首振り笑顔で答えた。そんなことより車のキーを貸してくれない。話しは後でお願いだから。 お前何時に帰ってこれる? さあ分か

 

らない。でも帰って来たら付き合うからさ。そしたら楽しくやろう。私は定年、息子は独立、ある日息子に電話をかけた。会いたいもんだね。都合はどうだね。会いたいけれども暇がないんだ。何しろ仕事が大変で、子供たちが流感なんだ。電話をくれてありがとう 父さんそれじゃあまた今度。私は電話を切ってつくづく思った。息子も今ではかつての私と同じだ。かつての私と同じだ。
 猫はゆりかご銀のさじ。そらには大きなお月様。お前何時に帰ってこれる? さあ分からない。でも帰ったら付き合うからさ。そしたら楽しくやろうじゃないか。
  子どもにとっても、父にとっても互いの親密な関係はとても大切なものです。父と子どもの関係はその親密さの中で、よりよき関係へと成長していくものです。忙しさの中で、そんな関係を(親子関係だけではなくすべての人間関係の中で)ないがしろにしてはいないでしょうか。 では、私たちの天のお父さんと私たち一人ひとりの関係においてはどうでしょうか。私たちは天のお父さんの子どもです。そして、私たちのお父さんは、いつも私たち一人ひとりに関心をもってさらに親密な関係を持とうとしてくださっています。天のお父さんと、最近親密な関係を持っていますか。                  M.H

~復習:*今日のメッセージであなたの心に一番残った
ことはなんですか。
*信仰を実験のように用いていませんか
*天のお父さんとの親密な時間を取っているでしょうか
*あなたにとって、信仰の歩みを逸脱させようと働きかけ て来るものは何ですか
*予習:マルコ16章を読みましょう。


2014年6月10日 

~ 今しかない!

 イエスさまの死と復活から7週間。ペンテコステの日にみなが集まっていたところに突然、天から激しい風が吹いてくるような響きが起こりました。そのときから彼らは力を受けたのです。約束された聖霊が、人々の上に下ってきてみなが聖霊に満たされたのです。(使徒2章)彼らは聖霊によって力を受けました。そして、今も私たちは、聖霊によって力を受けるのです。(使徒の働き1:8)
1.イエスさまに従う力です・・・神さまは、命令とともに、
  従うための力をも与えて下さるのです。
2.証する力です・・・それはまた、証しとなる力です。私
  たちが、おかれたところで私たちの日常を通して主を
  証しするための力を下さるのです。
3.礼拝、祈り、賛美の力です・・・霊とまことによって礼
  拝します。御霊が与えて下さる特別な祈りと賛美の
  言葉(=異言)で祈り賛美します。聖霊に満たされ詩
  と賛美と霊の歌とを持って主に向かって賛美します。
4.みことばを悟る力です・・・聖霊さまは、わたしたちが
  みことばを理解できるように助け、そしてそれを実行
  できるように助けて下さるのです。
 私たちもそんな力に満たされましょう。今日賛美の中で聖霊さまを待ち望み、聖霊さまに満たされる時を特別に持ちましょう。悔い改めて、求めて、信じてそして踏み出して、聖霊さまにいっぱい満たされ大胆に異言を話すことを求めましょう。力強く主に仕えて行きましょう。

 あの時やっておけばよかった、あのとき惜しみなくあの人に愛をつたえておけばよかったと、後悔したことはあり
ませんか。チャンスは、そうそうやっては来ないもので

す。今しかないその時を逃してしまったら、もう2度とチャンスがないかもしれないのです。たとえ、それがいかに人から見れば愚かに見えることであったとしても、人からバカにされるようなことであったとしても、また危険が伴うことであったとしても、私たちが私たちをいのちをかけて愛して下さったイエスさまに対してできることならば、それを行う機会は、そうそうないのです。女は、香油の壺を割ってイエスさまに注ぎました。イエスさまを愛しているから。今しかないから。らい病人シモンは指名手配中の極悪人?イエスさまを家に招きました。危険を顧みず。イエスさまを愛しているから、今しかないから。私たちがイエスさまの愛にこたえるチャンスは。今しかないかも・・・最も小さい者たちのひとりにしたのは私にしたのです。
                              M.H

~復習:*今日のメッセージであなたの心に一番残った
ことはなんですか。
*あの時やっておけばよかったということとがあり
ますか、それが出来なかった理由はなんでしょ
うか
*あなたの、今しかないについて思い巡らしま
しょう
*日々、聖霊さまに満たされ続けましょう
予習:マルコ15章を読みましょう。
 


2014年6月1日 

~ 目をさまして

 もしも今、皆さんに、明日世界が終わりになるなら何をしますかと質問したら皆さんはなんとお答えますか。
 たとえ、明日世界が終りになろうとも、私は今日リンゴの木を植える。これはマルティン・ルターの言葉です。
 明日、世界が終わりになってしまうということは、今日、リンゴの木を植えても、所詮何も得ることは出来ません。実を見ることなど出来そうもない事です。そればかりか、リンゴの木自体もなくなってしまいます。それまでその人が行ってきた業績も、今までに蓄えてきた財産もすべてが無くなってしまいます。
 そのような中で、私たちだったらどう生きるのでしょうか。今日一日を刹那的に、享楽的に生きるのが普通かもしれません。それなのにルターは、今日、リンゴの木を植えようと言うのです。この「リンゴの木を植える」という表現は、明日への希望を持って日々の勤めを果たしていこうということではないでしょうか。そして、私たちは、今日成すべきことをしっかりと見極め、目をさましてそれを行っていかなければならないと言っているのではないでしょうか。私たちのまわりには、一時的に、私たちを惑わすものがいっぱいあります。私たちが慌てふためいてしまうようなことも私たちのまわりで起こります。そのような状況の中で、私たちは、気を付けていなければならないのです。しっかりと希望に目をとめて、主の恵みとあわれみに目を上げ、目をさましていなければならないのです。                              
 弟子たちは、素晴らしい宮の建物を見て感嘆の声をあげました。しかし、どんなに優れたものであったとしても、その宮はやがては、崩れ去っていくものなのです。どれ

だけその時、堅固であったとしても、崩れることなど考えにも及ばないほどのものであったとしてもです。
 私たちは、そのような一時的なものに心を奪われてしまってはいないでしょうか。本当に消えることのない、残るものに目をとめ、目をさまし、日々の生活を送っているのでしょうか。少し、自分自身を振り返ってみてはいかがでしょうか。目をさましているでしょうか。準備を怠ってはいませんか。戸がしめられ「ご主人様あけて下さい」と呼んでも知らないと言われた準備を怠った愚かな娘のようになりたくはないし、思いがけない時に帰ってこられた主人のしもべのように罰せられ、泣いて歯ぎしりをしたくはないのです。今日できることを、今日精一杯に成そうではありませんか、準備を怠ることなく。惑わされず、あわてず、気をつけながら、主イエスさまに目をとめ。主の恵みとあわれみの中で主に栄光をお返しし主に信頼し、期待し主に従いとおそうではありませんか。    M.H

~復習:*今日のメッセージであなたの心に一番残った
ことはなんですか。
*心を奪われている一時的なものをありませんか
*今までにうわさや現象であわてていしまったこと
はありますか
*今この瞬間に主が帰ってこられたら・・・
予習:マルコ14章を読みましょう。
*聖餐式のために思いを整えましょう