2014年, 12月のブログ

2014年12月28日 

~ 私たちの助けは

 2014年も、いよいよあと4日、今日が、今年最後の主日礼拝です。
 一年間共に集ってひとつ心で、主の前に出て主を礼拝できたことは、この上のない感謝ではないでしょうか。
 皆さんにとってこの1年は、どのような1年だったでしょう。
祝福と喜びにあふれた1年だったでしょうか?
試練の中を通らされた1年だったでしょうか?
別に特別何もなかった1年だったなんて方はいらっしゃらないでしょうね!
もう、今年1年を振り返って見ましたか。
 今年の自分自身を評価してみること、そして感謝を捧げることはとても大切なことです。もし、まだこの1年を思い巡らしていないなら、ぜひ、時間をとって主の前に静まってみてはいかがでしょうか。
 きっと数え切れない主の祝福と恵を覚えるのではないでしょうか

もしも私が苦しまなかったら、
神さまの愛を知らなかった。
多くの人が苦しまなかったら、
神さまの愛は伝えられなかった。
もしも主イエスが 苦しまなかったら、
神さまの愛は現れなかった。

 これは、「苦しまなかったら」という 水野源三さんの詩です。

 イエスさまは苦しみを通して私たちに愛を教え、愛を伝え、愛をあらわされました。

 一年間、しんどかったこと、失望したこと、葛藤、悩み、いろいろあったでしょう。もちろん、うれしかったこと素晴らしいことも。そのような中で私たちは、イエスさまの愛を経験し、その愛の広さ、長さ、高さ、深さに感動したのではないでしょうか。
 そして、どんな時にも主は私の味方だったし、味方なのです。たとえ荒れ狂う大水のなかでも。私たちにはどのような状況の中であったとしても、天地をつくられた主の御名という確かな助けがあるのです。さあ、主に感謝を捧げましょう。
 主は私たちと共にいてくださり、一つ一つの出来事の中に愛をあらわし、教え、示してくださったのです。神さまの御業を思い巡らし心からの感謝と賛美を捧げようではありませんか。

ハレルヤ。神の聖所で、神をほめたたえよ。
御力の大空で、神をほめたたえよ。
その大能のみわざのゆえに、神をほめたたえよ。
そのすぐれた偉大さのゆえに、神をほめたたえよ。 
                      詩篇150:1,2

そして、主は私の味方です。イエスさまが私の主です。と力強く宣言して一年を終えようではありませんか。 M.H
 


2014年12月21日 

~ メリークリスマス!

 イエス・キリストは私たちのスーパーヒーローです。窮地から全人類を救う救世主です。しかしそのイエスでさえ子どもとして生まれました。何もできない赤んぼうとして生まれ、両親や周りの人たちに完全に身を委ねて頼らないと生きていけませんでした。
 大人になったイエスは弟子たちにこう教えました。「悔い改めて子どもたちのようにならない限り決して天の御国には入れません。」「このような子どもを私の名のゆえに受け入れる者は私を受け入れるのです。」
 子どもの何がそんなに素晴らしいのでしょうか。知識も経験もなく、働くこともできず、与えられてばかりで常識も分からずに周りの迷惑になる。世話はかかる、汚い、遅い…それでも子どもは宝なのです。いるだけで場が和みますし、その笑顔には癒されます。彼らは教えを素直に聞き入れますが好奇心旺盛でどんなことでも疑問に思えば聞いてきます。そして自分が親など他人に頼らないと生きていけないことが分かっています。
 未来の日本、未来の教会を背負っていくのは彼らです。私たちは教会としてもっと子どもたちを愛し、教え、導いていかなければなりません。サタンからしても、子どもたちがキリストに従うのを妨げることができれば、彼は安泰です。
 イエスはさらにこう言いました。「私を信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだ方がましです。」やくざのような脅しですね!すごい表現です。でもこれぐらいイエスにとって子どもたちは大切でした

 

 子どもが大きくなるにつれて神様から引き離そうとするものがたくさん出てきます。どんな遊びをするかしないか、どんなテレビ番組を見るか見ないかを考えて決めるのはもちろんいいことですが、それよりもしっかり神様のことを考えたり話したりする文化を築くことのほうが大切かもしれません。さらに大きくなると勉強や部活で忙しくなり、決して悪いものではないのですが、神様との時間を奪ってしまう結果になることが多いです。
 次世代を担う子どもたちや若者が聖書を深く知り、聖霊に満たされで出ていくなら、神の御国は大きく前進します。サタンも自分の時が来たのかなと思うでしょう。そのためには教会としてもっと子どもたちが来たいと思うようになること、そして子どもたちをもっと大切にし、彼らの為に常に祈っていかなければなりません。そのような教会に一緒になっていけたらと願います。      K.F

 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
 そうすれば年老いてもそれから離れない。
                    箴言22章6節
         


2014年12月14日 

~ 本物のクリスマス

 ある国で、王さまが、自分の民の暮らしぶりを見て、自分の国の民のために何かできないものか。あまりにも民がみじめに暮らしている、まるで暗闇の中にいる様だと感じて、ひとつのことを考えました。自分の住んでいるこの宮殿に民を招いて、そして、いっぱいの御馳走をふるまおうと。
 そこで、王様は、誰でも、お城に来てもいいそして用意してある御馳走を欲しいだけ食べて、持って帰ってもいいというお触れを国中に出しました。そのお触れを聞いた民は、みな大喜びでした。しかし、そんな王さまのことが気に入らない反対する勢力があって、何とかして民に本当の喜び、楽しみを味わってほしくない(それを知られたら、民を苦しみの中にとどめておけなくなるから)悪い奴らがいました。
 そこで、その反対勢力は悪知恵を絞り出し、あることを思いつきました。お城の入り口の手前のところに、普段、その民が食べているよりほんの少しだけ上等の、でも決していいものとは言えないそんな食べ物を、いかにも美しく豪華に飾り付け並べておいたのです。お城に招かれた民たちは、一張羅の服を着て喜び勇んでお城へと向かっています。民の一行がお城の手前までやってきて、そこにおかれた豪華で美しそうに見える、安物の食べ物を見つけました。そして民は、感嘆と喜びの声を上げそれを食べ始めました。でも何かちょっと違うなという感じを持ちながらも、おなかいっぱい食べて、手に持てるだけ食べ物をもって満足したような、でも少し違うそんな思いを抱きながら帰っていきました。その様子を見て悪者たちは、ほくそ笑んでいます。城の中では、いつまでたってもやってこない民をどうしたことかと王さまが待ち続けています。悪者たちは、ひとまず王さまの計画をぶち壊せたことを喜んでいます。

 町の中はクリスマスの美しいイルミネーションが輝き、人々は偽のクリスマスを少し変だと思いながらも、満足して楽しん

でいます。毎年繰り返されている光景が今年もやってきます。サタンは、私たちが本当のクリスマスに出会うことを何とか阻止しようとして躍起になっているようです。少し楽しいもの、少しだけいいもので、私たちの心を満たし、決して本当に素晴らしいもの、ベストのものを味わうことが出来ないようにと、先に書いた悪だくみをした悪人たちのように人々をだまそうとしているようです。
 偽物を用意し、それを用いることはサタンの常套手段なのです。今年のクリスマス私たちは、私たちの愛する家族や友人そして私たちの置かれた地域や職場の方々に、本物のクリスマスを伝えましょう。23日はクリスマスセレブレーションです。闇の中に本物の光が輝き上るように祈りましょう。

 イエスさまの誕生を通して目覚めたといえる人たちがいます。それは、東方の博士たちです。
 博士たちは、遠い国から長い旅路をたどりやって来て、母マリヤとともにおられる幼子を見、その幼子にすばらしい宝物を捧げてひれ伏して礼拝しました。来た道とは別の道から帰っていきました。
 今日そんな博士たちの不思議な事柄をいっしょに見て考えて見ましょう。

 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」マタイ2章1,2節
                             M.H


2014年12月6日 

~ 時が満ち

 私たちの愛するオイコスの人々の心の中にイエスさまが誕生してくださるそんなクリスマスの時となりますように!
 12月に入って、町は当然のごとくクリスマス一色に染まって、町も人々もクリスマスを待ち望んでいるそんな感じです。私たちは、このクリスマスのときに、どんな事を期待していますか。何を望んで、何を願っているでしょうか。

 イエスさまは、時が満ちた、その時に、この世界に誕生してくださいました。
しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。  ガラテヤ4章4、5節
 旧約聖書の最後の書マラキ書から新約聖書マタイの福音書までの中間時代と呼ばれる約400年の時を聖書は沈黙しています。まさに、時が満ちるそのときまでのその時代は、どのようなときだったのでしょうか。
 そのとき、福音が増え広がるための、さまざまな準備が当時の世界の中でなされました。
 キリストの来臨のために整えられたいくつかの事柄があります。ひとりの征服者、ひとつの民と伝統、そして帝国の建国。それらは、当時の世界にひとつの共通語をもたらし、ひとつの共同社会を作りました。そんな中で、人々は霊的な混乱に陥り、道徳は退廃し、潔さと正義に対する飢え渇きが増していったのです。そんな中で、イエスさまは誕生され、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改

めて福音を信じなさい。」と語られたのです。
 今、クリスマスを前にしたこのときは、私たちにとってそれは、どのようなときなのでしょうか。私たちは、クリスマスに、自分自身が救われていることを喜び、感謝し、そのときをお祝いします。しかし、それだけでいいのでしょうか。冒頭に書いたように、今年こそ、私たちが救いを祈ってきた人々が救われるときとしようではありませんか。私たちが救いを願ってきた人たち、ひとりひとりにとって、まさに時が満ちているのです。私たちは、ずっと語ってきました。祈ってきました。私たちの愛する人々もまたこの現代において霊的な混乱に陥って、またある意味で道徳的に退廃しているのではないでしょうか。そして、多くの人々は潔さと正義に飢え乾いているのです。まるで、イエスさまが来られた時の世界と同じように。

 クリスマスのこのとき、人々にイエスさまの愛を伝える絶好の機会です。大胆に、しかし、慎み深く愛を持って人々に本当のクリスマスの意味伝えようではありませんか。
 今年のクリスマス私たちは、自分の必要、楽しみ、喜びだけではなく、(もちろんそれも目一杯いただいて)まだ、イエスさまのことを知らない、そんな愛する私たちの家族や友人、知人に目を向けようではありませんか。その人のために、イエスさまは、この世界に来てくださり、十字架にかかり死んで下さったのです。私たちも今、特にこのクリスマスのとき、ひとりの魂に対する、愛と情熱がさらに増し加わるように祈りましょう。そして、伝えましょう。M.H