2015年, 1月のブログ

2015年1月25日 

~ 創世記2章

 御国が来ますように!この地に御国を!神の国を生きる!
イエスさまの十字架と復活によって、神の国の勝利がもたらされました。私たち教会こそが、この地に神の国を具現し、神の国を生きるものなのです。
 アガペ研修会を通して私たちは、そのことを確認しました。そして、私たちひとりひとりが、神の国を生きる。そのようなライフスタイルに変えられたいと、心から願っているし、そのようになると信じ、確信しています。神さまに、信頼し、より頼り、聖霊さまに導かれていっしょに神の国を先取りしようではありませんか。

 今年の、初めの礼拝で私たちは創世記1章をいっしょに学びました。
 創世記は、物事の起源を語る書です。その中でも1,2章には神の国の始まり(起源)が記されています。神の国を生きるために、その起源を知ることは、とても大切なことです。
 今日は2章を見ていきましょう。1章では神が天と地を創造され、その造られたものは非常に良かったこと、そして人間を創造されたことを見ました。
 2章では、人間の霊的いのちの起源、霊的いのち、すなわち創造主とつながっていることその起源を見てみましょう。そして、人間は、神が創造された世界の管理者とされ、その世界の豊かさを楽しみ味わうものであることについてもいっしょに考えましょう。
私たちには、自由が与えられています、しかしその自由は決して、なんでもありの自分勝手な人間中心の自由ではなく、神さ

まが定められた枠があるのです。
 私たちは、神さまの支配にとどまり、神さまの命令に従う限りは自由です。その中にあれば、神さまの祝福にとどまり続けることが出来るのです。しかし、神さまの命令を無視し、神さまの支配から、はずれたら自由も祝福も失ってしまうものなのです。神さまの命令を無視することは、死なのです。
 創造主から切り離されてしまうことになるのです。そしてそれは、自分の存在の意味、尊厳といったものをなくしてしまうことなのです。人生の目的がわからなくなってむなしく生きなければならなくなるのです。                         M.H

神である主は、人に命じて仰せられた。
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。
                       創世記2:16、17

~*今日のメッセージで一番心に響いてことはなんですか
*7日目に休むことはどうして大切なのでしょう
*いのちの息が吹き込まれどうなったのでしょうか
*善悪の知識の木から取って食べたことの問題はなんでしょう
*今日あなたが見つけた神の国のライフスタイルは?
*創世記1,2章をもう一度読みましょう
 


2015年1月11日 

~ 主からの賜物

 私たちは皆主から賜物をいただいています。しかしそれらを何の為に使っているでしょうか。この世界ではそれを使って巨額の富を得たり、有名になったり、自分の夢や希望を叶えたりする為の機会があります。またある人たちはこの世界を変え、貧しい人々や苦しんでいる人々を助けるためにもっている賜物を使うこともあります。
 聖書を見渡しても、主からの特別な賜物を使って活躍した人が大勢います。モーセは強いリーダーシップをもってイスラエルを率いました。サムソンは人間離れした力でイスラエルを導きました。ダビデは美しい賛美と勇敢さをもってイスラエルの王国を確立しました。多くの預言者たちは主からいただいた言葉をもってイスラエルに忠告を行ないました。
 しかしモーセは最初は恐れを抱いていたために大胆に話せませんでした。ギデオンも自分の家柄を気にしてなかなか立ち上がれませんでした。またサムソンみたいに主からの賜物を正しく使わなかった人もいます。私たちも主から特別な美しい賜物をいただいているのに、それを使えなかったり、意味のない使い方をしているかもしれません。要は、主の為に使っていなければそれは虚しいものです。
 主からいただいた知恵の賜物によって栄華を極めたソロモンも、結局をその富や栄誉の為に堕落していきました。その晩年に彼はその虚しさを鬱々と綴っています。「私は日の下で行われるすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。」(伝道者の書1:14)さらに、「私は、私の

目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるようなものはない。」(同2:10-11)
 しかし私たちのしていることが本当に主の為かどうかをどのようにして知ることができるでしょうか。よく、教会の奉仕でしていれば主のため、と勘違いをするクリスチャンがいます。
 まずはそこに愛があるかどうかです。そして自分の私欲の為ではなく、人を祝福するためにしているかです。そして何よりも、日々主と共に歩み、聖霊の導きによってそれを行なっていることが何よりも大切なのでははいでしょうか。
 2015年も、主の御国の為に私たちの賜物を存分に発揮していきましょう。

「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値打ちをはかられる。あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」
                            箴言16:2-3
                              
                                  K.F               


2015年1月4日 

~ 初めに神が・・・

 明けましておめでとうございます。
 素晴らしい新年をお迎えになられたことと心からお喜び申し上げます。
 私たち、互いに愛し合う家族として、この新しい年も共に集い、天地の創造主なる神さまを礼拝できることを心から感謝いたします。
 皆さん、新しい年にどのような抱負と夢を抱いておられるでしょうか。今年も主を愛し、心を合わせて、主に期待し、信頼し、前進し、そして、互いにに愛し合い、励まし合って、主に仕えてまいりましょう。
 主の、私たちに対する期待と夢が成就するその時まで。

 さて、新しい一年が始まりました。何事においてもそうですが、始まり(起源)というものがあるものです。私たちが、今生きているこの宇宙もやはりはじまり、その起源があります。
 今日、この年の初めに、創世記1章をいっしょに見て世界と人間の起源について考えて見ましょう。
 起源を知るということは私たちにとって、とても重要なことなのです。なぜなら、起源は世界と人間の目的と価値を決定するからです。
 私たち人間は、自分の起源というものを正しく知らなかったら、自分の存在価値も意味も目的もわからないまま、命を粗末に扱い空虚な人生を送ることになってしまうのです。言い換えれ  

ば、自分の起源を正しく知ることによって、人間本来の存在価値と意味と目的がわかり、人生を大切に扱い、正しい生き方をすることが出来るようになるのです。
 私たちが忠実に従っている、聖書の一番初めの書、創世記1章は「初めに、神が天と地とを創造した」(1節)で始まります。そして、「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」(31節)
 今日、この創世記の最初のメッセージから、神が、天と地を創造されたこと。そして、創造主が造られたすべてのものは非常に良かったこと。人間がその中で、神のかたちに似せて造られ、神に祝福された生き物であり、地を支配する使命を受け神に依存して生きる非常に良いものであることを見ていきましょう。  M.H

26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。
27 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
28 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
                         創世記1:26~28