2015年, 5月のブログ

2015年5月31日 

~ 支点にする始点視点支店

 「皮下脂肪資源にできればノーベル賞」・・・今年のサラリーマン川柳のベストテンが発表されましたその中で第1位になった川柳です。毎年、人間の喜怒哀楽をユーモアたっぷりに表現された作品が発表されとても面白く、また考えさせられるものもあり、毎年発表されるのを楽しみにしています。
今年のベストテンの中に「オレオレとアレアレ増える高齢化」というのと、番外に、「ありのままメイクとせばどこのまま」というのがありました。
 ふっと、もじって見たくなりました。そんなことするのが大好きです。オレオレの方は、高齢化をクリスチャンに変えてみたら、俺が、俺が、自分、自分。あれも、あれも。私たちはそんな風になってはいないでしょうか?そして、教会にいるときだけメイクしてありのままになったら・・・そんな二面性を持ったクリスチャンいなってしまってはいないでしょうか?
今年になってから、ずーっと神の国についていっしょに考えて学んで来ています。
 教会に、神の国が来ているのです。教会以外に神の国はありません。しかし、神の国=教会ではありません。教会は神さまに選び出され呼び集められたものです。すなわち神さまが支配しておられるところです。私たち教会は、この世におかれた神の国の出先機関なのです。私たちは、悪が支配するこの世界の中で。神の国を具現するそんな存在なのです。

 

 さて、私たち教会は、そのようにこの世界の中に神の国を具現化できているでしょうか。まだ救われていない人々が私たちにふれて、神の国を経験しているのでしょうか。私たちがいくら神の国のことを学んで、知っているとしても、それをこの世界の中に現せていなかったら・・・果たしてそれでいいのでしょうか?だからと言ってじゃどうすればいいのと考えてしまいます。先ほどの川柳をもじったように、私たちは、自己中心的な生き方の自分の醜さや、弱さを痛切に味わっています。
 また、神の国を生きるものだからと、この世にあって、この世界と乖離してしまっていてはどうしようもありません。ある意味でこの世界と神の国のバランスが必要です。バランスと言っても、決してこの世界と妥協するのではなく、この世界の中で、神の国を生きるバランスです。そんな、バランスを取るためには、ちょうど良い支点が必要です。私たちがこの世界で神の国を生きるために、支点になりうる大切な三つのしてんについて考えて見ましょう。それは、人間の始まりである、人間の始点。人間とはということについて、二つ目は神さまの視点、神さまが私たちをそして世界をどのように見ておられるのか、そして、もう一つ、神の国の支店として私たちはこの世界の中でどのように生きるのかこの三つを支点にして神の国をバランスよく生きようではありませんか。6月の礼拝でいっしょに考えて見ましょう。
                             M.H


2015年5月27日 

~ イエスキリストの昇天

 5月14日は昇天日だったことを皆さん御存知でしょうか。私たちはキリストの誕生を「クリスマス」として文化や宗教を超えて盛大に祝います。またその死と復活を「イースター」として教会では大きく取り上げます。しかしキリストの昇天についてはそこまで祝いません。宝探しやクイズをしたり特別なビストロもありません。「誰も書かなかったイエス」の中で著書フィリップ・ヤンシー氏はこう述べています。
 「私はこの結論に辿り着いた。昇天こそが私の信仰におけるいちばんの葛藤である。それが起きたかどうかの疑問ではなくなぜ起きたかということだ。苦しみのことや、聖書と科学の調和、復活や他の奇蹟よりも理解し難い。このようなことを認めてしまうのも変かもしれないが(私は未だかつて復活に関する疑問に答えようとする本や記事を読んだことがない)、イエスがこの世を離れてから起きていることが私の信仰の核心に強く突き刺さる。昇天がなかった方が良かったのではないか。イエスがこの世に留まっていたら、我々の質問に答え、疑問を解き、教理や政策における争いを仲介できたであろうに。」
 そこまで深くキリストの昇天について考えたり葛藤したことのある方はどれほどいるでしょうか。聖書のイエス・キリストの記録の自然な一部として当たり前のように受け取っていた方がほとんどでしょう。でもヤンシー氏のいうように、人間的な思いで考えると天に昇るより地上にいた方がイエスは優れた働きができたのかもしれません。それでもイエスは地上を去り、互いに争ったり、威張り合ったり、怒り狂ったり、疑ったり、裏切ったりするような弟子たちにこの世界をお任せになったのです。何も12弟子のことだけではなく、今の私たちも同じような弱い人間です。キリストの名で多くの非人道的な戦争や殺戮が行われてきたのも事実です。本当に私たちに任せて良かったのでしょうか。
 しかし「私はあなたがたを捨てて孤児にはしません」と言われたように、聖霊を下してくださいました(まさに今日はペンテコステです)。聖霊が私たちのうちに働くことによって、天に昇られたキリストが一人一人のクリスチャンの中に生きているのです。一人でパレスチナ地方で奇蹟を行い御国の福音を説いたイエス・キリストが、今は世界中で何億人もの体を通して御国を広げているのです。良かれ悪かれ、イエスは戻ってくるまでこの世界を私たちに完全に任せたのです。そしてこの世に再び戻る道を整えるために、助け主なる聖霊を通して私たちの中に住んで下さっているのです。
 聖霊は、クリスチャンであることの印として私たちに宿っているだけではありません。キリストが地上に住まわれた時と同じ愛と力を持って臨んできて下さいます。もし人々が神と出会っていないのなら、それは私たちの中にいるキリストと出会っていないのかもしれません。キリストが全宇宙を創られ死からよみがえられた力と愛とをもって私たちに中に住んでいるのであれば、この世の人たちが私たちと出会う時、イエスのその愛と力を体験しなければなりません。イエスは再び戻ってきて、任された任務を忠実に行ったかどうかを確認し、そして私たちを裁かれます。
 私たちは常に日本のリバイバルのために祈っています。祈りやとりなしの力を見下す訳ではありませんが、神が我々の熱心な祈りを聞いて「うん、いいよ」と思った時にリバイバルが来るとは思えません。日本のクリスチャンが、教会が聖霊に満たされ、キリストを死からよみがえらせた愛と力を世に示す時にリバイバルが来ると信じます。あえて私たちに任せて下さったキリストの愛に応えるために、聖霊の力で神の御国を広げていきましょう!                         K.F

 

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、 神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」第2コリント2:15
「しかし聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、および地の果てにまで私の証人となるのです。」使徒1:8


2015年5月17日 

~とてつもなく豊か

5千人の人たちが、(しかも成人男性だけで5千人)みんな満腹するまでパンと魚を食べました。
そのパンと魚は、どこから調達されてきたのでしょうか。パンと魚を腹いっぱいに食べている人たちは何も持っていませんでした。山の上のへんぴなところです。どこかから買ってくるにしても時間はかかるし、何よりお金はありません。
その場所にあったのは、ひとりの少年のお弁当、パンが五つと魚が2匹だけです。しかし、5千人以上の人々はお腹いっぱい満足するまで食べました。食べただけではなく、残ったパンを集めてみたら、12のかごがいっぱいになりました。
こんな話を私たちは、自分の小さな頭でどのように説明できるでしょうか、自分の理屈の範囲で、ヒューマニズム的に、あるいは合理主義的に解釈できるのでしょうか。そのようなことを試みてみても、不可能です。これは神さまのなされた人の入り込む余地など全くない完璧な奇跡なのだからです。
私たちは、自分の解釈を求めるのではなく、この出来事を神の国の豊かさとして素直に喜ぶそのような者でありたいものです。
小さいもの、乏しいものが主の御手の中で大きく増やされて、圧倒的な豊かさになるのです。
私たちは、今年神の国についていっしょに考え、学んでいま
す。神の国は、とてつもなく豊かなものです。

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」 マタイ13章31,32節

天の御国、すなわち神の国の原理です。考えられないほど小さなものが、考えられないほど大きなものになるのです。たった五つのパンと2匹の魚が、5千人の人たちを満腹にしたのです。
神の国は、豊さに満ちているのです。私たちは、この地に御国を来たらせたまえと毎日祈っています。神の国を生きる者です。もっともっと。とてつもない神の国の豊かさを経験しようではありませんか。主は、私たちが信仰をもって小さな自分を差し出せば、それで神の国のわざをなされるのです。5千人の給食を通して、神の国の豊かさについて、いっしょに考えて見ましょう。                          M.H

        
~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
*あなたが、受け取った神の国の原理はなんですか
*差し出した小さなものは誰をどのくらい満たすのでしょうか
思いめぐらしてみましょう
*あなたは何を主の前に差し出しますか                                                     


2015年5月10日 

~永遠の戸よ上がれ

 大型連休が終わりました。皆さんはこの連休の時をどのように過ごされましたか。文字通りゴールデンウィークだった方、普段と変わらず過ごされた方さまざまでしょうが、私は、三日の夕方から六日まで神戸で持たれたホームカミングのギャザリングに参加しました。本当に素晴らしい時でした。下記に今回のギャザリングのお世話をして下さった神戸キリスト栄光教会の菅原牧師のメールを一部転載させていただきます。まさに私も同じ感想です。

 ホームカミング・ギャザリングは聖会ではなく、セミナーではなく、イベント、行事でもありません。大家族の集まりでした。参加者たちが賛美と感謝と喜びを主の御前に現しました。「主を喜ぶことは、あなたがたの力です」。大家族が天のエルサレムを目指して同じ旅路を歩みだしたのです。世界中で家族がどんどん、どんどん増えています。日本においてこのようなギャザリングは誰も体験したことがありません。主イエス様への信仰により、喜びと賛美と踊りと感謝があふれているのです。終わることを知らない賛美の集団です。とにかく皆楽しいのです。参加者たちの顔が輝いています。大人も若者も子供も喜んで主をたたえているのです。ステージ上で導くダンスチームのダンスは長時間踊り続けま
す。それは圧巻です。驚きです、麗しく、力強く、スピード感

があります。チームメンバーの霊調の高さが長時間奉仕を可能にしています。海外からも31か国の参加がありました。私も今まで数多くの大規模集会のご奉仕をさせて頂きましたが、このような賛美と喜びは圧巻です。聖霊様が主役なのです。有名な講師もおりません。
 有名なゴスペルシンガーもいません。癒しを祈る伝道者もおりません。麗しく、喜びと力強い空気が会場全体を覆っています。 以上抜粋。太字は筆者 まさに神の国です!!

 私たちが共に集まり神さまを賛美し、神さまに礼拝を捧げるときそこに素晴らしい神さまのご臨在と油注ぎがあるのです。その中で、私たちは神さまにふれられ、きよめられ変えられていくのです。喜びがあふれ感謝に満ちるのです。私たちは神の国を生きるひとつとされ家族なのです。今日もともに主の御前に立って主をほめたたえ礼拝しましょう。  M.H            
                                                    


2015年5月3日 

~驚いてますか?

 感動していますか?スポーツ観戦や、映画を見てではなく、神さまのなされるわざを見ての話です。
 皆さんは感動や驚きを味わっていますか。最近であなたが、神さまのわざに驚いたのは、いつでしたか。もうずいぶんと驚きがなくなってしまっている。そんなことはありませんか。
 神の国は、驚きに満ちた世界なのです。イエスさまは、いくつもの奇跡をなさいました。それはまさに神の国の祝福の豊かさをあらわすわざでした。
 奇跡とは、驚きだということが出来るでしょう。イエスさまの素晴らしいわざも、それを目撃した人が驚いて初めて奇跡になるのではないでしょうか。驚かなければ、イエスさまを信じさせる奇跡にはなりえないのです。
 イエスさまが宣教の働きを始められたころ、ガリラヤのカナで婚礼がありました。そこでイエスさまは、最初の奇跡をなされました。華やかで、にぎやかな婚礼も宴たけなわというときに、ぶどう酒がなくなってしまったのです。そこでイエスさまは、宴会の手伝いのしもべたちに、水瓶を水で満たすようにと言われました。しもべらは、言われたとおり忠実にそれを実行し、イエスさまが汲むようにと言われたタイミングでそれを汲んで言われたとおり世話役のところへと持っていきました。世話役はそれを味わってぶどう酒であることがわかりました。水がぶどう酒に変えられたイエスさまの最初の奇跡です。 
 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行

ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。  ヨハネ2章11節
 イエスさまは、ご自分の栄光をあらわされたのです。それは神の国の祝福の豊かさでもあるのです。弟子たちは、イエスさまを信じました。しかし、宴会に出席していた他の人たち、世話役や、またしもべはどうなったのでしょう。花婿花嫁はどうだったでしょう。最も、イエスさまのなされたわざを身近で体験したのに、驚いたり、不思議がったり、感動した様子は伝わってきません。先ほど書いたように奇跡とは驚きであるとしたら、結局それを目撃したしもべたちや世話役、花婿花嫁にとってそれは奇跡にならなかったのです。
 最近なぜ奇跡がなくなったのでしょうか。人々が驚かなくなっているのではないでしょうか。私たちも何を見ても感動しなくなってしまっているのではないでしょうか。無関心、無関係が私たちを支配しているのではないでしょうか。神の国は不思議に満ち驚きに満ちているのにです。         M.H     

~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
*あなたは神のわざを見て驚いていますか
*最近体験した奇跡はどんなことですか
*あなたが味わった神の国の豊かさをその感動を誰かに分
かち合いましょう。
*今日の午後の学びに参加しましょう。