2015年, 6月のブログ

2015年6月28日 

~神の支店

 神の国の支店として私たちはこの世界の中でどのように生きるのでしょうか。私たち教会は神の国を受け継いだものです。教会を通して聖霊さまが働いて下さり、キリストの御心を行い、神の国の力を示してくださるのです。教会そのものが神の国ではありません。が、教会は神の国を託されています。教会は神の国を体験させるところであり、神の国のしるしが現象としてそこに現れるそんなところなのです。
 三つのしてんを考えています。人間の始まりは、どのようなものか、人の始点。それを知ることによって人間の存在の意義がわかり、そのゴールを知りそのためにどのように生きるのかといったことをいっしょに見てきました。二つ目に神さまの視点。神さまは私たちをどのように見ておられるのか、だから私たちもその神さまの見方、視点に立って自分を見、人を見、そしてこの世界を見て生きるということを考えました。
 今日は、三つ目のしてん、神の国の支店としての私たちについていっしょに考えて見ましょう。
 神さまは、私たちひとりひとりに、また教会にご計画を持って下さっています。そして私たちひとりひとりはそれぞれにユニークで素晴らしい賜物を神さまからいただいているのです。それを用いて神さまは、私たちが神の国を、その力を、その素晴らしさをこの世界の人々に体験させるために私たちをこの世界につかわされたのです。私たちは神の国の支店の働き人なのです。
 そんな中で、私たちがせっかく与えられている素晴らしい賜物を隠してしまったら、あのタラントのたとえのように取り上げられ、さら

 

に持っている人に与えられてしまうのです。
 私たちは賢くそれを用いて、それをさらに増し加えられていくものでありたいです。そのためには、どうすればいいのでしょうか。
 また、私たちジーザス・ファミリーが神の国の支店としてこの世界の中で扱うものはどのようなものなのでしょうか。たいていの場合、支店が扱う商品は本店にあるものです。果たして今私たちがこの地上で、示し現しているもの、扱っているものは、本店つまり神の国にあるそのようなものでしょうか。私たちの生き方が示しているものが神の国にふさわしいものとなっているでしょうか。本店である神の国は、主の全能の力による支配があり、愛と義と聖さ平和にあふれているのです。主との豊かな交わりがあるのです。支店の私たちは、そのような豊かな祝福をこの地に示そうではありませんか。                   
                       M.H 

 ~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
*神の国とは何でしょうか
*天の御国にあるものは何か、ないものは何か考えて見ま
しょう
*あなたの一番の出店場所はどこですか、そこで何を示し
ますか
*三つのしてん、そして神の国について思いめぐらしましょう
 


2015年6月21日 

~視点

 ものの見方とは不思議です。見るものによって全く違う見識が示されることもあります。仏教のことばに一水四見という言葉があります。同じ水でも見方によって四通りに見える、ということを表した言葉です。人間にとって普通の飲み水であっても、魚にとっては住処であり餌を求める生活の場です。天人には、きれいに透き通ったガラスのように見え、餓鬼には飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみの水です。同じ水も、人間・魚・天人・餓鬼とでは、おのおの異って見える、という例え話です。
 確かにものを見るときそれぞれの環境や、経験によって同じものを見ても違って見えまた感じるものです。例えば自分自身のことを見るとき、あなた自身が見ている自分の見方と、人があなたを見ているその見方は同じとは限りません。だからそのずれが、お互いの行き違いを生み何かの問題に発展してしまうこともあります。私たちは、何を基準に自分を見ればよいのでしょうか、どのような見方で自分や人を見ればいいのでしょうか。自分の基準や経験から来る思い込みでものを見てはいませんか。もちろん私たちがものを見てそれが何であり、どんなものかを認識するには、また、そこから何かを感じ取るためには経験や学習は必要ですし、それを知識というのかもしれません。そしてその判断でものを見たり感じたりするのです。
 
 しかし、そこで少し立ち止まって考えて見たいのです。神さまは、どのように見ておられるのか?という事を。私たちは、あまりにも自分中心になってしまっていて、自分の見方や感じ方がすべてのようになってしまっているのではないでしょうか。その時の気分によって、また環境によって、人の意見によって変わってしまうそんな頼りのない自分を信じて、そして、その中で傲慢になったり、落ち込んだり、争ったりしてしまっているのではないでしょうか。私たちには、絶対にゆらぐことがない、間違うことがないものの見方があるのです。神さまは、どう見ておられるのか。そんな神さまの視点に立とうではありませんか、少しでも神さまと同じ見方が出来るように、同じように感じるようになりたいのです。そして、自分の小さな経験、そこから来る思い込みを置いて、自分を、周りの人々を、そして世界を見ていきたいのです。私たちはいっしょに神さまに従う者として、この世界をお創りになられた神さまの視点に立とうではありませんか。     M.H 

 ~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
*神さまはあなたをどのように見ておられますか聖書の
み言葉を三つ思いめぐらしてみましょう。
*神さまの視点に立つことがどうして大切なのでしょうか
*日々、迷ったら、立ちどまって神さまならを考えましょう
 


2015年6月14日 

~恵みの中からキリストのかおりを

 わくわく、させていますか?わくわく、していますか?
 今や、お正月の風物詩?ともいえる。箱根駅伝。今年は青山学院大学が優勝しましたが、そのティームのスローガンは「わくわく大作戦」だったそうです。見ている人や、周りの人々をわくわくさせる。走る自分たちもわくわくするような走りをする。そんなスローガンを掲げて練習に取り組み、そして見事に人々をわくわくさせるような走りで優勝しました。私も見ていてわくわくしていました。
 ところで、私たちは、日々わくわくしているでしょうか、私たちのまわりの人々をわくわくさせているでしょうか。(ひやひや、ドキドキではなく)
 私たちは、毎週、集まって、天地をお造りになられ今も生きておられる全能の神さまに、自分自身を捧げ、神さまをほめたたえ賛美し、その語りかけに耳を向け、感動させられ、聖霊さまによって新しくつくりかえられるそんな礼拝の時を持っています。そして、家族との豊かな愛の交わりを楽しみ、励まし祈りあえるって、わくわくしなければおかしいですよね。
 また、日々の生活の中で神さまがいつもともにいて下さり、守り、励まし、導いて下さっているのです。そして、神さまは私たちにいつも「恐れるな」「強くあれ」「私には不可能は

ない」「あなたを愛している」「あなたは高価で尊い」・・・と語って下さっているのです。わくわくしますよね。
 私たちも、青学の「わくわく大作戦」ではありませんが、「わくわくクリスチャン」としてこの世界の中にかぐわしいキリストのかおりを放って行こうではありませんか。
 私たちが、わくわくとイキイキと生きるその姿の中で、人々はわくわくとし、イエスさまを見出しイエスさまと出会うのではないでしょうか。
 私自身、はじめて礼拝に参加したとき、確かに礼拝している人たちを見て、何か自分にはないイキイキ感、わくわく感を感じました。そして自分自身の中にも、そんなわくわく感がわきおこってきたことを思い出します。
 私たちが、神さまのわくわく感の中にイキイキと生きるとき、人々もそのわくわく、イキイキの中に引き寄せられるのです。さあ、恵みの中からキリストのかおりを放ちましょう。
                             M.H  


2015年6月7日 

~始点

 私たちが神の国を生きるものとして、押さえておきたい三つのしてん。
 私たちの始まりである人間の始点。神さまの見方である神の視点。私たちがこの世界につかわされている神の代理人、天の御国の代理店としての支店。
 今日その中で、人間の始まりはどのようなものであったのかということを見ていっしょに考えてみましょう。
 始まりがわかればゴールがわかり、その中で果たさなければならない使命も見えてくるものです。
 始まりがあいまいなものであったなら、結局、普通に(あいまいなのに)日々を過ごし、それらしい(あいまいなのに)ゴールを定め、人生を浪費してしまうのです。
 最初にかけ間違えたボタンは最初に戻らなければ、いつまでたっても間違いを続けていかなければならないのです。いかにもボタンをかけるという行為のひとつひとつは正しくあっても、です。そして最後は間違ったところに行きついてしまうのです。
 人間の始まりがいつ、だれによって、どのようにして、始まったかを知るということは、人間の目的と価値を決定するものなのです。私たち人間は、自分の始まり、つまり、起源というものを正しく知らなかったら、自分の存在価値も意味も目的もわからないまま、命を粗末に扱い空虚な人生を送ることになってしまうのです。言い換えれば、自分の起源を正しく知ることに

 

よって、人間本来の存在価値と意味と目的がわかって、人生を大切に扱い、正しい生き方をすることが出来るようになるのです。
 この世界は、神さまによって造られました。御子によって御子のために造られたのです。コロサイ(1:16)
 そして、私たち人間は、その世界の中でどのようなものとして造られたのでしょうか。何のために存在しているのでしょうか。その目的と、意義は何なのでしょうか。そこを明確にして、人生を歩むのです。
 今日いっしょに人間の始点ということについて考えてみましょう。人間は神に似せ「神のかたち」に創造されたのです。神のかたちに造られたということはどのような意味があるのでしょうか。だからこそ、どのように生きなければならないのでしょうか、そして、そのゴールとは何なのでしょうか。いっしょに考えてみましょう。                           M.H  

~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
*人間の始まりはどのようなものでしたか。神さまは人をどのように見ていて下さるのでしょうか
*私たちの人生の目的、意義は何でしょうか
*永遠を生きることについて思いめぐらしてみましょう