2015年, 7月のブログ

2015年7月26日 

~創世記12章

 私たちは今年、創世記を旅しています。その中で1章から11書までを見てきました。

 神が天と地を創造され、その造られたものは非常に良かったこと、そして人間を創造されたことを見ました。人間の霊的いのちの起源。霊的いのち、すなわち創造主とつながっていることその起源を。そして、人間は、神が創造された世界の管理者とされ、その世界の豊かさを楽しみ味わうものであることについて見てきました。その中で私たちは、神さまの支配にとどまり、神さまの命令に従う限りは自由であり、神さまの祝福にとどまり続けることが出来るものでした。(1、2章)
 しかし、神さまの命令を無視し、神さまの支配から、はずれたら自由も祝福も失ってしまうものだということを見ました。神さまの命令を無視することは、死なのです。それは、創造主から切り離されてしまうことになるのです。そしてそれは、自分の存在の意味、尊厳といったものをなくしてしまうことであり。人生の目的がわからなくなってむなしく生きなければならなくなるものです。そして、人間は見事にそのようになってしまいました。(3章)
 神の国とサタンの国の流れが出来てしまいました。罪の社会は広がり、サタンの国は拡大していきます。そんな中、神の国の流れもありました。アベルからセツ、エノシュと流れていった流れです。しかし、それもカインの流れ(サタンの国)の中に飲み込まれていきました。神を無視し排除した生き方が全地をおおってしまったのです。(4~8章)

 ついに人間は神に、人間を造ったことを悔やませ、人類を地上から消し去る決意をさせるほどに、悪に支配されてしまいました。大洪水が起こり、天の下にあるどの高い山々も、水におおわれてしまいました。
 憐れみ深い神さまは、人をさばかれる時、必ず救いと逃れの道を用意されます。ノアを通して、救いの道を用意され、神と共に歩んだノアの一族だけが祝福されました。(他の人類は、主の忍耐にもかかわらず、悔い改めることなく洪水によって滅びた)
 そして、ノアの一族から新しい人類の歴史が始まります。このように洪水によって古い罪の世界は滅び去りましたが、罪は継承されていったのです。再び二つの流れが出来ていきます。そしてバベルの塔に代表される人間中心主義が始まったのです。
 
 サタンの国の流れが人類に浸透していく中で、主は新たに一人の人を選び、祝福の契約を結ばれました。この契約が土台となり、神の国の流れが生み出され、人類の救いの計画を遂行されるのです。聖書の歴史は、この契約を中心として展開し、神の国の完成者であり救い主であるキリストに向かって集約していくのです。アブラハムと結ばれたその契約とはどのような契約なのか、いっしょに見てみましょう。

                                 M.H  


2015年7月12日 

~なぜより何のため

 一時間目のテストが終わったあと休み時間に、何人もの生徒が自分で、終わったテストの答え合わせをはじめています。「やっぱり、あそこが出た、ちゃんとやっといたらよかったな」「アッここ間違えた、なんでこんなん解けんかったんやろ」「あいつにテストの範囲聞いたから失敗した」そんな声が聞こえてきます。
 ある人は、もう一度問題を丁寧に説き直して、ここで間違えたのかと、へんに納得している人もいます。いくら、原因を探っても、責任を追及しても、結果に変わりはありません。次に同じ失敗を犯さないためには必要なことでしょう。しかし、それで終わったテストの点が良くなるわけではありません。この休み時間は、2時間目のテストのために予習した方が効果的だとは思うのですが。
 問題がテストの点数なら、自分がテストの前にしっかりと学び努力し、対策を立てて頑張ればいい点を取ることが出来るでしょう。
 しかし、私たちの人生の中では、自分ではどうすることもできない、出来なかったことがあります。そんな時にも私たちは悩んだり苦しんだりするのです。生まれつき盲人の男を見てその人が盲人である原因は何かと弟子たちは考え、イエスさまに問いました。
 私たち人は、みな何かに生まれつきます。誰でも「なぜ自分はこんな家に生まれついたのか」「なぜこんな条件、環境の下に生まれたのか」「なぜこんな目に合うのか」と悩みます。苦しみます。すべての人が、そんな不条理としか思えないような何かを背負って生きているのです。そんな人生の中で私たちも、なぜ、どうしてと問いかけています。弟子たちが「盲目に生まれついたのは誰が

罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」と盲人を見てイエスさまに問うたように。
 なぜ・・の答えは、罪であることははっきりしています。それなのに、盲目に生まれついたのは本人か、両親の罪かと問うことは、そこに何かの因縁を求める問いにすぎません。原因と責任がどっちとわかっても、現実は、決して変わることはないのです。まあ、なにかのせいにして納得したような気分には、なれるのかもしれませんが。
 あのせいでこうなった、これが悪かったとあげつらってみたとしても決して自分自身の人生は変わるものではありません。冒頭の話の勉強のように、今後のためにはなるでしょうが、状況が変わるわけではありません。盲人がだれの罪で盲人になったのかが分かったとしても盲人です。今の境遇に対して、いくら原因を求めても、責任を求め何かに責任をなすりつけても、変わるものではないのです。(いろいろ分析することは今後のためには大切ですが。)それなのに、私たちは、自分自身の身に何かがおこれば、「なぜあんなことが」とその原因や責任を追及します。しかし、イエスさまの、なぜに対する答えは、原因や責任を示すものではなく目的を示されることでした。
 「神のわざがこの人に現れるためです」
今日いっしょに、ヨハネ9章から考えてみましょう。
                                M.H  


2015年7月5日 

~創世記8章~11章

 早いもので、もう一年の半分が終わりました。
 今年の初めから創世記を旅していました・・・今日は久しぶりにその旅に戻ってきました。
 創世記を大きく分けたら3つ、その2つ目の終わりを今日はいっしょに見ていきましょう。1,2章で神の国の始まりを見ました。そして12章からは祝福の契約を見ていきます。
 2月から3章から11章で神の国の喪失、人間の反逆を見てきましたが、今日はその後半部分、神の国の再興と罪の支配、洪水後の世界をいっしょに見ていきましょう。
 その前に少し前回を振り返って見ましょう。アベルからセツ、エノシュと流れていた神の国の流れが、もう一方の流れカインの流れの中に飲み込まれていきました。すなわちサタンの国、神を無視し排除した生き方が全地をおおってしまったのです。人間は神に、人間を造ったことを悔やませ、人類を地上から消し去る決意をさせるほどに、悪に支配されてしまいました。
 神さまは、人をさばかれる時、必ず救いと逃れの道を用意されます。ノアを通して、救いの道を用意されたけどノアの時代の人々は、用意された救いを無視しました。神と共に歩んだノアの一族だけが祝福されました。そして新しい人類の歴史が始まります。洪水の前の世界と洪水のあとの世界はどうなったのでしょうか。ノアは祭壇を築き、主に全焼のいけにえを捧げます。神の国の祝福が回復します。神さまはノア一族を祝福されます。そして新しい世界が始まりましたが、「人の心の思いは計ること、はじめ
から悪である」という世界でした。ノアの洪水は、創造主が「神は

義」であることを示すと同時に、人を愛し忍耐して悔い改めるのを待たれる「愛の神」であることも示されました。そして洪水によって古い罪の世界は滅び去ってしまっても、罪は継承されていったのです。
 再び二つの流れが出来ていきます。ハムの子カナンの呪いとセム、ヤペテの祝福の流れです。そしてそのハム、セム、ヤペテから世界の諸民族が生まれてきます。そして人は愚かにも自分たちの栄光を現そうとし、神を排除しこの世界を支配しようと企てバベルの塔を築きました。人間中心主義が始まったのです。
 人間中心主義について、今日いっしょに考えてみましょう。そこから、だから私たちは、今も変わらないこの人間中心主義の世の中をどのように生きるのかを聖霊さまがおひとりおひとりの心の中に語って下さるようにと祈りつつ、今日も心を開いて主を待ち望みましょう。                      M.H  

~*今日のメッセージで一番心に響いたことはなんですか
考えましょう
*ノアの醜態に対してハムの態度からどのようなことを学びま
すか
*一方セム、ヤペテからは?
*自分が思い上がっていると感じるときはありますか
*人間中心主義とはどのようなことでしょうか。そうならないた
めにはどうすればいいのでしょうか