2016年, 5月のブログ

2016年5月24日 

~ 御国の出前
 
 「主よ教会を(私)をこの世界に与えて下さい。」
 2004年、私たちがJFの主任牧師となってすぐのことでした。ニュージランドの聖会に参加していたときあるメッセンジャーがそのように語られました。私たちはよくこの町を教会に与えて下さい。と祈りますが、教会(私)を町に与えて下さいと祈っていますか?と。確かに、自分の中ではっと気づかされました。それから十数年がたちました。果たしてどれくらい、私たちはこの町に与えられたのでしょうか。教会はどれほど町に与えられて行ったでしょうか。
 今年の、私たちのフォーカスのひとつは神の国のデリバリーです。昨年、特に神の国についていっしょに考えました。神の国は、つまりイエスさまのご臨在があるところなのです。イエスさまを教会堂の中だけに閉じ込めて置いてはいけないのです。福音書のイエスさまはさまざまなところに出没!?されています。荒くれ漁師たちが集まっている港町、見せ掛けだけは立派で上品そうな宗教家たちの集まり、町の人々から相手にされない、見捨てられたような人々、遊女や罪びとのたまり場。そんな当時よりより複雑になったこの社会で、イエスさまはどこにおられるのでしょうか。
 イエスさまのご臨在を運ぶ器は私たちひとりひとりです。私たちは、イエスさまのご臨在を運んでそのようなところへと出て行っているのでしょうか。教会堂やクリスチャン同志の集まりの中では、それをいかんなく発揮している?けど、出て行ったときにはイエスさまを隠してしまっている、そんなことはないでしょうか。もっと大胆になろうではないですか。難しく考えすぎてはいませんか。イエスさまは、私たちと共にいて下さるのです。複雑に考えてはいませんか。どうやって何を伝えればいいのか、こんな風にしたら、あんなふうにと。しかし、私たちが伝えなければならないことはそんなに多くはないのではないでしょうか。まずは私たちが喜びにあふれて生きることなのです。その源である私たちの主イエスさまを紹介しましょう。状況や、環境がどのようなものであったとしても私たちには、完全な勝利が約束されているのです。私たちには救いの喜びがあるのです。
 さあ、ともに神さまのみ前に出て、その喜びをもって神さまを賛美しほめたたえましょう。いっしょに礼拝を捧げるのです。そして、喜んで仕える霊にささえられて、この世界の中へ出て行って神の国をデリバリーしていきましょう。あなたを待っている人がいるのです。             M.H

                                  

                      


2016年5月21日 

~ 主をお迎えする
 
 今日はペンテコステ(聖霊降臨日)です。
私たち信じる者には聖霊様が内住して下さっている事、とても不思議でエキサイティングでハッピーな事だと思います。共にこの日をお祝いし、私達の主を誉め称えましょう!
 聖書には、「聖霊」についてのいろいろな表現が出て来ます。「恵みの御霊」「父の御霊」「御子の御霊」「キリストの霊」「いのちの御霊」「聖い御霊」「真理の御霊」「助け主」あなたにとって一番ピッタリな「聖霊」の表現はありますでしょうか。
 今日は、「聖霊」と一緒に私たちがなすべき事(イエス様が願われている事)について、エペソ1章、2章から考えたいと思います。
 イエス様は十字架にご自身を捧げて下さいました。それは、私たちの罪のためである事はもちろんですが、最も大きな目的は聖霊を私たちに送って下さるためだったと思います。
ヨハネ16:7には、「私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなた方のところに来ないからです」と書いてあります。(去って行く=十字架で死ぬ)
 でもそれは何故でしょうか。イエス様は私たちに聖霊を送る事によって、何かを願っておられると思います。
 エペソ1:10にパウロが神様のご計画について述べています。
「時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです」
 イエス様が再臨される時の様子を表現した絵などを見た事があると思います。白い衣を着た大勢の群衆がイエス様の所に集まっている。
 この再臨を迎える時をイエス様がどう思っておられるか、考えてみた事あるでしょうか。その時イエス様が切に見たいと思われているひとつの事があると思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
 エペソ2:15には「ご自分の肉によって敵意を廃棄された方です。」とあり、16節には「敵意は十字架によって葬り去られました」と「敵意」が廃棄された事が繰り返され「神の家族なのです」で一区切りとなっています。
 「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とイエス様は言われました。今日少し考えて見ましょう。今、自分との関係が悪くなっている人はいませんか。また苦手な人やできれば会いたくない人などいませんでしょうか。今年のテーマのひとつは家族の回復ですが、家族の関係はいかがでしょうか。示された事を主の前に持って行きましょう。
 イエス様は私達の平和であり、二つのものを一つとし、隔ての壁を打ち壊して下さった方です(エペソ2:14)。同じように私達もこの地上で平和を作り出せる者です。なぜなら、神の子は平和を作り出す者だからです(マタイ5:9)。 
 私たちにはイエス様が死を代価として送って下さった助け主、聖霊様がおられます。この方に聞いて二つのものを一つにして行きましょう。そしてひとつの家族としていつの日か主をお迎えする場に臨みたいと思います。
今週1週間の歩みに主の豊かな祝福がありますように!M.S      

                      


2016年5月8日 

~ 家族の回復①
 
 ゴールデンウィーク。皆さんはいかがお過ごしになられたでしょうか。どこかにお出かけになられた方。仕事をされていた方。家でゴロゴロと過ごされた方。それぞれだったと思いますが、ゆっくり家族と時間がとれた、普段はあまりコミュニケーションができていなかったけどこの連休で家族の時間が持てたという方はどれほどいらっしゃるでしょうか?
 今、家族のあり方が随分と様変わりしてきているように思います。人間関係が壊れています。コミュニケーションの崩壊です。私たちは、今年、神の国をシンプルに、信じる・生きる・伝えることを考えています。そして、そのように壊れてしまっている、壊れかけている家族の回復に、ひとつの焦点を当てて考えています。今日いっしょに家族について考えて見ましょう。
 今日の40分で家族が回復するものでもないし、何か劇的に変えられるといったものではないけれども神の国をシンプルに生きること、そのような家族を考える、そんなきっかけとなればと思っています。
 
 彼らは、とある大きなスーパーマーケットの食品売り場を、仕事日の服装のまま歩いていました。二人ともイライラしたようすです。缶詰とソース売り場の通路です。彼らは買い忘れた品物のことで言い争っているのです。彼は、それを三つ向こうの通路で買うことになっていましたが、彼女は、どこの会社の製品かを前もって、はっきりと言いませんでした。憎しみの言葉が行き交いました。彼女は、いつも正しい商品名を言わないし、彼は、忘れっぽくって思慮に欠けるのです。彼女は、もっと真剣に計画する必要があるし、彼も、もう少し多くの時間を家で過ごしていれば、いつも買っている食料品がわかるはずです。缶詰の近くを行き交う彼らの声の調子は、言葉そのものよりも酷く聞こえます。少し近寄ってみると彼らの指には結婚指輪らしきものがあります。でももっと、近寄って確かめる必要はありません。なぜって、こんな風に相手にものをいうのは夫婦だけだからです。
 私たちの言葉の習慣(癖)って怖いですね。今日は、家族のコミュニケーションについて、特に、言葉の使い方を、少しいっしょに考えて見ましょう。
                    M.H