2017年, 1月のブログ

2017年1月22日 

~ 何を期待しなければならないのか

 町はひどいききんに見舞われています。町の周囲はというと、敵の軍勢が取り囲んでいる状態です。町の中は、通常では、食物になりえないようなものでさえ、考えられないような価格で売られています。子どもを食べて飢えをしのいでいるようなひどい状態です。そんな中で、預言者を通して主のことばが語られました。明日にはききんが終わることを、それは敵に勝利することだとも言えます。しかし、それを聞いた王の側近は、信じませんでした。はたして結果は・・・主が語られたことにウソはありません。語られたとおりになったのです。
 しかし、それはまた信じなかった王の側近の侍従長にも語られたとおりになりました。「確かにあなたは、自分の目でそれを見るが、食べることはできない。」侍従長は、包囲していた敵が蹴散らされ、飢饉が終わったことを見たけど、死んでしまいました。
 サマリヤの町でおこった出来事です。
 全能の神さまに信頼することの難しさ実感します。時に神さまは、私たちの周りを敵が取り囲むことをお許しになります。ベン・ハダデの全軍がサマリヤを取り囲んだように。また、とうてい考えられないようなことを語られます。そして語られたことは成就するのです。それなのに、私たちは、この話の中の王または侍従長のように、自分たちの身に降りかかってきた災難に対して、「これは主のわざわいだ、これ以上、主に何を期待しなければならないのか」と主を認めながらもつぶやいてしまっているのではないでしょうか。主のおことばを聞いて、「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と嘲笑ってはいませんか。嘲笑い疑ったものは主のことばの成就を味わうことはできなかったのです。今主は、私たちに何を語ってくださっているのでしょうか。私たちはそれをどのように聞いてどんな態度でそれに答えているのでしょうか。主に期待しているでしょうか。来週は、アガペ研修会です。大いなる神に、私たちを愛しご自身を捧げてくださった主に大いに期待しましょう。  M.H                                

 


2017年1月19日 

~ 創世記26章

 いっしょに歩んできている創世記の旅は今年もつづきます。今日は、26章です。
 前回は24章、イサクの花嫁を探しに、主人の故郷へと旅に出たアブラハムのしもべの話でした。
 しもべは、信仰によって旅をしました。旅の目的は、主人の息子の嫁さがし、行先だけは分かっていても、何をどうするのかは、全く手がかりもない雲をつかむようなそんな旅でした。そこから私たちの信仰の旅についていっしょに考えました。もう去年の話なのでって、忘れてしまってはいませんよね。祈りから始まり礼拝で終わるそんな信仰生活を歩んでいますか。
 さて今日は、26章イサクの争わない生き方をいっしょに見ていきましょう。
 イサクの人生は、アブラハム契約を継承する人生でした。主は、イサクにも祝福を約束されていたのです。その祝福はイサクからヤコブへと受け継がれていくものでした。そして、イサクはそんな祝福を約束通り受けた人でした。
 主の豊かな祝福を、約束通り受けるにはどのように生きるのでしょうか。
 イサクの生き方から今日の私たちにも学ぶことがたくさんあるのではないでしょうか。イサクは主の約束を信じて行動しました。そして百倍の祝福を得ました。主は約束に忠実なお方です。契約通りにイサクを祝福されました。また、イサクは決して争うことをしませんでした。争って勝ちをもぎ取るよりも、一歩身を引いて、ひたすらに神に信頼する生き方です。そして、そんな生き方が勝利につながるのです。私たち自分の手の業をおいて、主の成される、神の御業を体験しようではありませんか。               M.H

*メッセージであなたが語られたことを、今週、誰かに分かち合いましょう。
*あなたは主の命令に対して従順でしょうか
*主の約束を信じて行動し、結果多くの祝福を得たことがありますか。
*今、あなたが直面している忍耐が必要な問題はありませんか、忍耐が必要な時あなたは、それをどのようにして得ていますか
*「柔和なものは幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」思いめぐらしてみましょう。

                                                                      

 


2017年1月8日 

~ ファースト・・・

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
永遠に変わることのない主の愛と、御約束の中、ともに集い全能なる神さまを礼拝できる、特権を心からお喜び申し上げます。
私たち、互いに愛し合う家族として、この新しい年も共に集い、天地の創造主なる神さまを礼拝できることを感謝しましょう。
 皆さんは、新しい年にどのような抱負と夢を抱いておられるでしょうか。
 今年も主を愛し、心を合わせて、主に期待し、信頼し、前進し、そして、互いにに愛し合い、励まし合って、主に仕えてまいりましょう。主の、私たちに対する期待と夢が、主によって成就するその時まで。
 元旦礼拝で、ファーストペンギンのお話しをさせていただきました。どのようなお話かというと、ファーストペンギンの意味とは、群れで行動するペンギンの中で、魚を獲るために一番に海に飛び込める勇気あるペンギンのことを指します。海にはペンギンの敵とも言えるシャチやトド、オットセイなどの肉食獣が、今か今かとペンギンが海に飛び込んでくるのを待っているかもしれません。しかしペンギンも魚を食べなければ、生きていけないというジレンマがあります。そうしたペンギンの恐怖や迷いの中で、勇気を持って一番に海という危険地帯に飛び込んでいけるペンギンを「ファーストペンギン」と呼びます。
 イエスさまの弟子の中で、海に飛び出していった弟子がいました。ペテロです。船が向かい風に遭遇し、前進しあぐねているとき、海の上を歩いてこられたイエスさまを見て、皆が恐れていました。そんな中で「わたしだ、恐れることはない。」と言われたイエスさまに「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と声をかけ、主の「来なさい」との応答に答えて、海の中に一歩を踏み出したのです。それはとても勇気のいる行動だったでしょう。ほかの仲間たちは、おびえていたか安全な船の上で安逸を貪っていただけですから。ある意味で今の私たちのようにです。
 今日このお話を通していっしょに考えて見ましょう。ひとりひとりの日々の生活の中で。教会として前進していくために、私たちも信仰において、勇気あるファーストペンギンのようなものとなりたいものです。                         M.H

                                                                      

 


2017年1月6日 

~明けましておめでとうございます。
永遠に変わることのない主の愛と、御約束の中、ともに集い全能なる神さまを礼拝できる、特権を心からお喜び申し上げます。
今年も、主にあって愛し合う家族として、主を愛し、主に仕えてまいりましょう。
神さまの豊かな祝福の中で新年を迎えられることはなんと幸いなことでしょう。
今年もよろしくお願いします。

 あわただしく、申から酉へとバトンが渡されました。バトンリレーはうまくなされたでしょうか。今年は酉年。ファーストペンギンをご存知でしょうか。集団で活動するペンギン。水の中へ飛び込むことをためらって、みんなでもじもじしています。しかしそんな中一羽が飛び込むと、みんなが一斉に飛び込んでいきます。どんなことにおいても、最初の一人、最初の一歩はむつかしいものです。後からみんなで行くのは、安全で簡単かもわかりませんが、しかし、皆がそのままとどまっていたのでは、自分たちの生存も危うくなってしまいます。何があるかわからない、危険が待ち受けているかもしれないそんな中でも、勇気を出して踏み出していくことが出来たらと思います。しっかりと主に目を上げ、信仰の一歩を今年もいっしょに踏み出していきましょう。
                                M・H