2017年, 2月のブログ

2017年2月26日 

~ どんな生き方

 私たちは、人が自分たちと変わったことをしていたり、自分たちがずっと守ってきた習慣(礼拝や賛美のしかたなど)や、今まで行ってきたけどよく考えたら何の根拠のないそのようなことを、自分たちと同じようにやっていない人たちを見て、批判し、攻撃したりしてしまってはいませんか。
 エルサレムから少し離れた地方で、最近、不思議なわざや、奇跡をなして、人々から注目されているイエスという方がいるから少し様子を見に行ってきたらと、命令されてか、自分たちで自発的に来たのかは分かりませんが、エルサレムから律法学者たちが来て、イエスさまの回りに集まって、イエスさまや弟子たちの行動を見ていました。
 たぶん、イエスさまの失敗や間違いを見つけ出してやろう、そして、何とかつけ入る隙を見出してイエスさまを、やり込めようというそんな目をもって・・・そして、弟子たちが古いしきたりや慣習にとらわれることなく自由にふるまっていることを批判し始めました。
 パリサイ人と律法学者たちは、弟子たちのしていることに対してもっともらしくイエスさまを批判しました。そしてイエスさまから強烈に悟らされます。(悟ったかどうかは別として)
 私たちも人のあれこれを、その本質を考えることなくうわべの事だけを見て批判したり、攻撃したくはないですよね。それよりも、自分たち自身が行っているそのひとつひとつを、いつもしっかりと何のためか、なぜそれをしているのか、をチェックして常に神さまの御心を行いたいものです。
 アンテオケで新しいこと、今までにない事が行われているという知らせがエルサレムの教会に聞こえてきて、そこでエルサレムの教会は、その視察にバルナバを遣わしました。バルナバはそこで神の恵みを見て喜びました。(使徒の働き11章)パリサイ人と律法学者たちは、イエスさまを見て、言い変えたら神さまの恵みを見て、うわべの行いの自分たちとの違いを批判したのに対して、バルナバはそれを喜び、そのまま主にとどまるようにと励ましました。どちらの生き方が自分自身を幸せにするでしょうか、今日いっしょに考えて見ましょう。

 5月に日本宣教フェスタが開催されます。私たちは日本のリバイバルを切に願っています。そして、日本の教会が、その全世代が一つとなることを心から願っています。同じ思いでこの宣教フェスタが持たれます。自分たちの考えや、今までのやり方にこだわってしまってはいませんか。イエスさまが、今この日本になされたいことは何なのでしょうか。あらさがしではなく、違いを批判するのではなく神さまがなされている素晴らしい御業をその恵み見、味わうものでありたいです。今まで見たこともないような、自分の頭の中で想像できる範囲をはるかに超えた神さまの御業にいっしょに期待していこうではありませんか。私たちが信じている主は、主なのです。とことん主で生きて行こうではありませんか。     M.H


2017年2月21日 

~ 主に交われば熱くなる! 

 皆さんは、情熱を漲らした人、熱い人といっしょにいて、自分自身もそのようになんだか熱くなったそんな経験をしたことはありませんか。特に、スポーツや仕事を通して、そんな経験がおありなのではないでしょうか。
 先月、メンズナイトで宿題を課しました。それは、マルコの福音書を読むことでした。月に一度の集まりなのでマルコ書を一月かけて読むことはある意味でたやすいことです。そこで私は、久しぶりに(聖書を読むことではありません、あしからず)、ほぼ一気にマルコ書を読んでみました。
イエスさまは熱いです。「自分が主に交われば熱くなる」を意識していたからもあるのでしょうが、決してそれだけではなく、今回、マルコ書全部を通してイエスさまから受けたものは熱さでした。イエスさまが行われた奇跡の数々、発せられた数多の言葉、憐れみと慈しみに満ちた行動、毅然とした態度そのすべてにおいて、イエスさまの情熱がひしひしと感じられました。そこにはイエスさまの魂への情熱があふれています。ぜひ、聖書を通してイエスさまとの深い交わりを持ちましょう。
 【また、男性の皆さん、メンズナイトに参加して主との交わりと共に互いの信仰の交わりを深めようではありませんか。第3金曜日の夜8時からです。互いの交わりを通して主との交わりが深められるそんな時です。ぜひぜひご参加を!】
 また、イエスさまの情熱を感じたと共に、その奇跡を受けた側にも熱さを感じました。そんな中で5章の二つの癒し、会堂管理人ヤイロの娘の癒しのヤイロと12年間の長血をいやされた女の必死さと、絶対の信頼に励まされます。私たちもそんな熱い信仰を持ちたいものです。主に交われば熱くなる。そして、それは私たちをさらに熱い信仰へと導いてくれるものだと思います。主と交わる中で、主の情熱に触れ、そして自分自身が主を求めることにおいてもさらに熱くなっていくものではないでしょうか。今、私自身そんな体験をさせていただいています。皆さん、もっと飢え渇いて、もっと深く主を求めましょう。主と交われば・・・・・なのです。
                            M.H

 

 


2017年2月16日 

~ 主と交わって

 とことん主!私たちのスローガンです。いや、これは、私たちの生きざまなのです。決して、単なる掛け声ではないのです。
 では、具体的にどうするのでしょうか?どのように生きるのでしょうか?主との交わりを大切にしたいのです。第一にしたいのです。主を慕い求めましょう。主に目を上げて主の御顔をいつも仰いで生活のすべての中に主を認めお迎えし生きていくのです。主に交わり、強くされ、聖くされ、熱くされようではありませんか。今まで以上に、何倍も。覚悟を決めて主に仕えていきましょう。
 聖霊さまを求めましょう。父なる神は私たちのために、いつも私たちといっしょにいてくださる、もうひとりの助け主を送ってくださったのです。聖霊さまは、私たちのためにすでに与えられたのです。皆さん聖霊さまとの交わりを持っておられますか。いっしょに歩んでいますか。
 聖霊さまに満たされましょう。いつも聖霊さまに満たされ続けていましょう。一度受けたから大丈夫ではないのです。いつも、いつもあふれるほどに満たされていたいのです。交わりとは、そのようなものではないでしょうか。一度出会っただけでは、交わりではありません。
 父なる神さまは私たちに、良いものを与えてくださる方です。子どもが魚をくださいと言うときに魚の代わりに蛇を与

える父はいません。卵の代わりにサソリを与えるわけがありません。

してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。

 私たちは、求めたら与えられ、探せば見つかり、たたけば門が開かれるのです。
 今日いっしょに、聖霊さまを求めましょう。いっぱいになってあふれるまで、生ける水の川があふれ流れ出すまで。とことん主!満たされて、強められ、聖くされ、熱くされて、遣わされて出て行こうではありませんか。
                            M.H

 

 


2017年2月7日 

~ とことん主!

 インフルエンザが猛威を振るっています。先週予定していたアガペ研修会が今日に延期になりました。神さまが、今日、素晴らしいことをご用意してくださっていると信じ感謝します。
 さて、ずいぶんと私たち教会の風景が変わりました。研修会も以前とは違ってこじんまりとしたものになりました。いろんな季節があると思います。そして、どのような季節の中でも神さまは働いておられます。神さまからの声に耳を向け、目を上げ、今私たちが出来る最高の礼拝をいっしょに捧げようではありませんか。
 神さまは、今も変わらず、私たちを愛し私たちを通してこの世界に神の国をもたらしてくださるのです。私たちがこの世界の光であり、世の塩なのです。私たちがこの世界でどのように輝き、この地で人々にどのように仕えていくのか。神さまのご計画があるのです。今日いっしょにその神さまにチャンネルを合わせて、神さまの御心を求めてまいりましょう。私たち教会に、そしてひとりひとりに今日も神さまが生きて働いていてくださるのです。大いに期待しようではありませんか。
 新しい風を感じています。新しい教会。新しい人間関係。そして、ひとりひとりがまた教会が信仰を強める時そんな時だと感じています。私たちが本気で(もちろん今までも本気だったけど)主を慕い求め主と深く交わり生きるようにと示されています。すべての領域において主を認めるのです。とことん主!なのです。覚悟を決めてそんな生き方をしてみませんか。
 悲壮感や、背水の陣でそんなふうに思っているわけではありません。昨年、いやここ数年、現状を見たら少し落ち込みます。しかし、主は、昨年の秋ごろ私に語ってくださいました。いくら現状を見てそこに目を止めても、現状は何も変わらない。私に目を上げるようにと。またいろんな人を通して、み言葉によって励ましを与えてくださいました。確かに、今、現状は何も変わっていません。しかし、私の中ではもうすでに主のことばが現実となっているのです。平安があります。喜びがあります。そして更なる期待があります。だからこそ、とことん主!どこまでも主についていこうではありませんか。皆さんと、いっしょに前進していけること、主の素晴らしい御業を見、経験できることに感謝し、また期待します。                       M.H

 

 


2017年2月4日 

~ がんばって!

ある池のほとり、ふと目をやると二匹の蛙が石の上で格闘していました。 そこで一句
やせ蛙まけるな一茶ここにあり    
だれもが知っている、有名な小林一茶の俳句です。
最近思わされています。がんばることがいけないとか、がんばらなくてはならないとかは、どうでもいいと。恵みの中でがんばる、恵みの中でがんばることをやめる、大切なことは、恵みを知ることなのだと。
パウロはがんばっています。
自分のからだをうちたたいて従わせました。恵みを知らなかったのでしょうか?
私たちは、つい恵みだからと逃げてしまってはいないでしょうか。自分がしんどかったり、もう立ち上がれないと思えるような時。「がんばらなくてもいいよ、私たちは恵みの中にいるんだから」と確かに私たちは自分の力でがんばらなくてもいいのです
そして、私たちは、つい恵みはがんばらなくてもいいことのように思ってしまってはいないでしょうか?せっかくの神さまからの素晴らしいご計画を、恵みということばで投げ捨ててしまってはいないでしょうか。例えば、主から与えられた自分の夢に向かって、何かの勉強や訓練をしている中で少ししんどくなったら、うまくいかなくなったら、もういいがんばらなくてもと、自分に言い聞かせたり、また人からそのように言われたりして。がんばることは良くないことのように、努力やがんばることをやめてしまってはいないですか。そう出来ることが恵みのように思って。
果たしてそうでしょうか?パウロは恵みを知らなかったからがんばったのでしょうか、決してそうではないはずです。恵みを知っていたからがんばれたのです。
神さまの力は弱さのうちに働くのです。私は弱いからと、がんばることをやめて何もかも投げ出してしまっていいよということではなく、そんな恵みがあるからがんばるのです、がんばれるのです。
イエスさまは、いつもあなたと共にいて、あなたのためにとりなして下さり、あなたを励まし、あなたが困難な状況にあるときには、その艱難や試練の中にあっても必ず脱出の道を備えて下さっています。試練がないわけではありません、艱難がないわけではありません。私たちが主に従って歩んでいくなら必ずや、そのようなことはあるでしょう。しかし、そこには恵みがあるのです。
一茶は蛙に声援を送っているのです。負けるなと。弱そうだから逃がしてあげようとしているのでも早く逃げろといっているのでもないのです。
きっと、イエスさまも逃げ出すことではなく、あなたが、弱さはあるけ主を頼り、ゆだねがんばって戦っている姿を応援して下さっているのではないでしょうか。        
クリスチャン負けるなイエスここにあり。
イエスさまが共にいてくださるのです。がんばりましょう。
                                M.H