2017年, 5月のブログ

2017年5月31日 

~ 真実の愛

 「この世で役に立たないものは何ひとつない、この石ころだって役に立つんだ」という素晴らしい名セリフと、全編を流れる切なく美しいメロディが涙を誘い、ラストの慟哭に心を打たれる往年の名作映画 “神の愛は信じぬ者にも及ぶ”という思いで作ったという、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」。何年も前に、そして何度も、見たこの古い映画をふっと思い出しました。ご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。ストーリーの紹介は、今はいたしませんが、私にとって、いろいろ考えさせられる、とても素晴らしい映画でした。お時間があれば、ぜひ。
 世間には、愛が氾濫しています。しかし、本当の愛って、真実の愛ってどのようなものなんでしょう。あまりにも、愛が安っぽい薄っぺらなものになってしまってはいないでしょうか。
 作家の太宰治は「火の鳥」の中で「愛は最高の奉仕だ。みじんも自分の満足を思ってはいけない」といっています。また、キリスト教は愛の宗教だとよく言われています。しかし、私たちは、いったい、どれほど、本当の愛、真実の愛を理解しているのでしょうか。
 私たちは、真実の愛を理解し、自分自身がしっかりと受け取り、それを私たちの家族や友人、周りの人々へその愛を流しだしているのでしょうか。
 ベタニヤの町シモンの家で、友人たちがイエスさまを取り囲んで、食事をしています。そこに、ひとりの女がやってきてイエスさまの頭に香油を注ぎ始めました。非常に高価な、純粋なナルド油です。お金に換算したら300デナリ(当時の労働者の年収ほど)以上。弟子たちや周りの人たちは憤慨しました。なんという無駄なことをするのかと。女はイエスさまに対して自分にできることをしたのです。惜しみなく愛を示しました。
 真実な愛とはどのような愛なのでしょうか。今日、この香油を注いだ女の話からいっしょに考えて見ましょう。そして、私たちが父なる神さまから受けたその愛をしっかりと受け止め、感謝し、そこにとどまり、その中から今度は、その愛を流しだしていくのです。               M.H
                            
*メッセージであなたが語られたことを、今週、誰かに分かち合いましょう。
*あなた自身が、神さまの愛に触れた、と感じたのはどんな状況の中でしたか?
*あなたが愛を流しだすのは、だれにでしょうか?
*真実な愛はどのような愛でしょうか?                             


2017年5月30日 

~ 創世記28章                                                                                   5月21日

 約2か月ぶりに創世記の旅に戻りましょう。アブラハムからイサクそしてエサウとヤコブへと祝福の契約は継承されていきます。前回エサウとヤコブそしてイサクの出来事を通して、兄弟、親子の関係を包み込み大きな神の国の歴史を展開される神さまの摂理の世界を見てきました。私たちの人生においても、神さまの摂理が、御手がそこにあって働いているのです。そんな中で私たちは何を見て生きるのでしょうか。
 主に選ばれたヤコブは、アブラハムの祝福を受け継ぎます。  今日は創世記28章をいっしょに考えて見ましょう。
 その前に、ヤコブは家を出て不安な旅立ちをしたその矢先に、神の使いたちが天から地におろされた梯子を行き来する夢を見ます。そして眠りから覚めた時「まことに主がこのところにおられる。」また「この場所は、なんと恐れ多いことだろう。こここそ神の家に他ならない。ここは天の門だ。」と、ヤコブはその場所を特別な場所として記念して石の柱を立て、ベテルつまり神の家と名付けました。なるほどそこは特別な場所だったのです。特別に神の使いたちが現れて、天が開かれ、ヤコブの行く末を約束したそんな記念すべきところベテル(神の家)に違いはなかったのです。
 ヤコブは「こここそ神の家にほかならない。」と言いましたが、ヤコブの生涯を大きく見渡してみると、あの時もこの時も天が開かれ、神が直接現れたり、語ったりしておられる光景をそこかしこに発見します。ヤコブの生涯は、ここもそこも、何をしても、どこに行っても、神のおられるところが神の家であったのです。ヤコブは人生の中でよく行き詰まり、八方ふさがりになって身動きが取れないそんな時ありました。しかし、いつも天が開かれていたのです。ヤコブは、のちに幸薄き人生であったことを自ら告白するような波乱万丈の生涯ではあったのですが、彼の頭上にはいつも天が開かれ、折々に光が差し込んでいた、そんな特別な天来の恵みに包まれた生涯でありました。
 どこにいても、何をしていても天が開かれているなら、そここそが、私たちにとっての神の家(ベテル)なのです。私たちも今置かれているこの場所で、祝福されたいものです。これから創世記の旅は、しばらくヤコブをいっしょに見ていきましょう。
                               M.H

*メッセージであなたが語られたことを、今週、誰かに分かち合いましょう。
*あなた自身が神さまがそばにおられると気づいたのはどのような時でしたか
*その時あなたの信仰はどのように変わったでしょう
*どうしてヤコブのような人間でも神に選ばれ祝福されるのでしょうか                                               


2017年5月14日 

~ 女は男の栄光

私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。2テモテ1:5

 今日は、母の日、私たちの素晴らしい信仰の、お母さんたちに感謝しましょう。そして、子育てに、夫のお守りに、毎日奮闘しているお母さんたちお疲れ様です。いつもありがとうございます。
 いつの時代も女性の果たしてきた役割は大きいものでした。
 ある人が言いました。「人類に大きな感化を与えたものは、よき書物と良き女性である。」
 ダンテを破滅から救ったのは、ベアトリーチェという女性でした。有名な彼の作品「神曲」は彼女に捧げられた叙事詩なのです。
 リンカーンは大統領に就任した時、九歳の時に亡くした、最初の母親について、「今日、私がこのようになることが出来たのは、すべて天使のような母のおかげです。私の胸に残る母に祝福あれ」と最初の母ナンシーについて語っています。彼は、二人目の母親にも恵まれました。父親は、リンカーンが読書をすると不機嫌だったのですが、継母がそれをかばい父親の考えが間違いであると説き、彼のその才能を認め、夫をなだめて読書を励まし続けました。
めざしの土光と呼ばれ、いくつもの企業の経営難を救った、土光敏夫は「個人は質素に、社会は豊に」をモットーとしていましたが、その考えを自分に植え付けてくれたのは母親だったと回顧しています。戦時色が強くなったころ、母親はその時流に流されることなく「国が滅びるのは悪によってではなく、国民の愚かしさによるのです。特に女性がしっかりしなくてはだめです。次の時代の国民を養成するのは母親だから、そのためにもちゃんとした女子教育が大事なのです」と言い続けました。
 さて、本当の女性特有の優しさとはどのようなものでしょう。
 神谷美恵子さんは言っています。「女性はあまねく、母性的であれ」「精神的に母たれ」「子供を産んで自覚する母性は、本能的で、それだけでは利己的で排他的な母性であるにすぎない。しかし、その母性愛をさらに深めて人類全体への愛というレベルにまで高める。この広い母性愛を使命感として身に着けることは、女性すべてに求められていることではないだろうか」
 聖書が語る女性観について、今日いっしょに考えて見ましょう。                         M.H