2017年, 7月のブログ

2017年7月30日 

~ 主の夢、私の夢

 先日ビルウィルソン師の集会に参加しました。いつものことながら大変恵まれました。何がよかったんですか?どんなふうに恵まれたんですか?その答えは・・・そのただ中にある。というと、???となってしまうと思います。
 ビル師の心にあること伝えたいことは、50年間変わることなく、世界中を旅して語られています。日本に最初に来られたのは2003年、私はその時に初めてビル師の集会に参加しました。衝撃でした。涙が止まりませんでした。それから14年がたった今も、同じ情熱をもって走り続けておられます。そしてそのビル師から流れてくるものは、主の愛、失われた魂への情熱に他ならないと思います。それはいつも新しい。なぜなら、主がビル師になしてくださった御わざの偉大さ素晴らしさを、彼自身が昨日のことのようにその御わざを覚え、心から感謝しておられるからだと思います。しかしながら、彼が伝えたいのは、主の偉大なわざが自分になったことではなくて、それがなるために、たった一人の人が、道端に捨てられた少年に目を向けた、手をさし伸ばしたということです。その一つの行為が、その人の人生を大きく変えるものになる、ということを伝え、また、私たちひとりひとりにそれができる、できることがあるとチャレンジしておられると思います。
  かつて、NYの道端で捨てられ、3日間飲まず食わずで、道行く人々は誰も彼を見ようとはしない。何百人もの人が通り過ぎる中で、たった一人、彼に手をさし伸ばした人物、その彼の名を知っていますか?ほとんどの人が知らないと思います。私たちの多くはそのようなものです。ビル師のように世界をまたにかけて活躍することもないでしょう。誰にも覚えられない働きかもしれません。しかしそこにこそ大切な働きがあるのではないでしょうか?誰も知らなくても、小さく見える働きでも、知っておられる方がいるのです。そう、主です。
 主はひとりをも滅ぶことを望んでおられません。それは主の願い、主の夢ではありませんか。私たちもその主の願い、主の夢を主と共に生きようではありませんか。主がお一人お一人になしてくださった御わざが、証があると思います。どんな所から私たちは救われたのでしょうか?主の恵みを思い起こし、新しく主に出会いましょう!主の喜びに満たされて、主に仕えていきましょう!主の願いが私の願いとなりますように。主の夢が私の夢となりますように。       Mrs.M.H                    


2017年7月27日 

~ 本当に価値あるもの

 みかん、三粒をもって、夜逃げした、はなはだ、間抜けたお話です。
 まずは一席 あらすじを
 ある大店の若旦那が急に患い、食事も受け付けなくなりました。大切な跡取り息子なので両親も心配して、何人もの医者に診てもらうが、決まって「これは気の病で、何か心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」と言われます。そこで、旦那は番頭を呼んで、「おまえは、せがれを小さい時分から面倒を見ているんだから、気心は知れている。何を思い詰めているか聞き出してほしい。何だろうとせがれの命にはかえられないから、きっとかなえてやる」といわれて、番頭が若だんなに会って聞きただすと、どうせかなわないことだから、かえって不孝になるので、言わずにこのまま死んでいくと、なかなか口を割らない。どうせどこかの女の子に恋患いでもしたんだろうと察して、必ずどうにかするから、とようやく白状させてみると、「それじゃ、おまえだけに言うがね、実は、……みかんが食べたい」あっけに取られた番頭はそんなことなら座敷中みかんで埋めてあげますと請け合って、喜んで主人に報告。ところがだんな、難しい顔で、「とんでもないことを言ったもんだ。じゃ、きっと買ってくるな」「もちろんです」「どこにみかんがある」それもそのはず、時は真夏。気づいたときはもう遅い。「おまえが今さら、ないと言えば、せがれは気落ちして死んでしまう。そうなれば主殺し。磔(はりつけ)だ。きっと召し連れ訴えしてやるからそう思え。それがイヤなら、江戸中探してもみかんを手に入れてこい」と脅され、番頭は、片っ端から果物屋を当たるが、今と違ってどこにもあるわけがない。磔柱が目にちらつく。しまいに金物屋に飛び込む始末。成り行きを聞き同情した主人から、神田多町の問屋街へ行けばひょっとすると、と教えられ、ワラにもすがる思いで問い合わせるとやっと見つかり値段を聞くと千両。蔵にたった一つ残った、腐っていないみかんが、なんと千両。いくらなんでも旦那は出さないと思って報告すると「安い。せがれの命が千両で買えれば安いもんだ」あのケチな旦那が、みかん一つに惜しげもなく千両を。買ってきて若旦那に届けたら喜んで食べて、三袋残して、これを両親とお祖母さんにと言う。「オレが来年別家してもらう金がせいぜい三十両……。この三袋で……えーい、長い浮世に短い命、どうなるものかいっ」番頭、みかん三袋持ってずらかった。
 価値の転倒が面白い、しかし考えさせられる千両みかんという落語です。

 私たちの人生に本当に価値あるものっていったい何でしょう。すべてをなくしてでも手に入れなければならないものがあるのです。M.H                    


2017年7月16日 

~ とことん主!

 今年もすでに折り返しを過ぎて後半戦に入っていますが、今年の私たちの目標覚えていますか。目標通りに、日々歩んでいらっしゃいますか。とことん主!
「何もかも、もてる限りを与えつくした私は幸福者である。今は全く貧しくして死んでゆく。自分自信のものと名の付くものは何もない。ああ、なんという幸福なことであろう」
 これは、ベルギーの方で、ハンセン病患者を救うために生涯をささげた宣教師ダミアン神父の死に臨んだ時のことばだそうです。彼は単身ハワイのモロカイ島(当時ハンセン病患者が送り込まれていた島)に渡って、患者の心の友となり、さまざまな仕事をして働き、もちろん伝道もし。そして自分自身もハンセン病になってその島で48年の生涯を閉じました。
 さて、パウロは、どのように生きたでしょうか。
ローマ14:8 もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
 パウロの生き方も、まさにとことん主!です。
 パウロは自分の生涯の終わりを知って、どのように自分の今までの生き方を考え、何を思い、何を語っているのでしょうか。今日、いっしょにパウロの最後の手紙、いわゆる絶筆であるテモテへの手紙Ⅱからパウロの生き方を考えて
見ましょう。
 パウロは、獄に入れられ、同労者に裏切られ、人間的に失望し、孤独になっていました、そんなパウロがテモテに勧めているのは、福音に最後まで忠実であれ、ということです。
 私たちもどこまでも主についていこうではありませんか。とことん主!主と交わり聖くされ、強くされ熱くされ、共に前進していきましょう。そして、主の素晴らしい御業をいっしょに見、経験できることに感謝し、期待し、最後まで福音に忠実に生きようではありませんか。         M.H

                    


2017年7月9日 

~ イエスさまの目でみていますか

 ハーザーの6月号でダニーシルク師(レディング市ベテル教会)の興味深い記事を読みました。タイトルは「尊厳の文化」。時々聞いていた言葉ですが、イエス様の目で見るという事を教えられました。
  イエス様は「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と言われましたが、私たちは、自分の家族や友人、自分の周りにいる人をそのように見ているでしょうか。
 過日のキックオフで、帰宅時に遭遇した男性の話をしました。自転車置き場で人が倒れているのに出くわしたと言う事に、皆さんが驚かれた表情を見ました。ところが、側に近寄って見ると、その男性は眠りこけているただの酔っ払いでした、という種明かしをすると、皆さんが「なんだ、酔っ払いか」という反応をされるのも見ました。そこにいた私もそう思いましたし、それが最初の反応として普通の事だと思います。
 でも、ちょっと考えて見て下さい。これはイエス様の視点でしょうか。イエス様が望まれている心でしょうか。
 イエス様は、律法学者やパリサイ人が安息日に禁じていることを行いました。交流が禁じられているサマリヤの女性に自分から話しかけられました。姦淫の現場で捕らえられた女性を許されました。香油を注いだマリアの悪口を言う弟子達を戒められました。自分を裏切る者を弟子に加えられました。
 イエス様の視点はどこにあって、行ないをされたのでしょうか。イエス様は「互いに愛し合いなさい。これが私の戒めです。」(ヨハネ15:12 15:17)と言われましたが、私たちはどうしているでしょうか。
 自分自身の事を思う時、残念ながら「イエス様が願われているようには、できているとは言い難い。」と思います。皆さんはいかがでしょうか。
 できていると言える方は幸いです。さらなる祝福をお祈りします。
 できていないと思う方と一緒に考えたいのですが、その原因は何なのでしょうか。
 誰もがイエス様に言われたように、想いたい、行動したい、それも毎日、という願いを持っておられると思いますが、それを妨げる者があります。
 それはサタンではありません。自分自身だという事は明白だと思います。
 では、自分自身の中の何が問題となるのか。どうすれば、それを克服できるのか。
 イエス様が光で照らし、解決を与えて下さる礼拝となる事を今日、期待しています。
 神様への賛美が、感謝が、喜びが満ちあふれる一週間となりますように。お一人お一人の祝福をお祈りします!
                                M.S.
                   


2017年7月2日 

~ 創世記29~31章②

 先週に引き続いて創世記の旅です。私たちは今ヤコブと共に歩んでいます。わが家に住んでいることが出来なくなって、親元を離れて一人見知らぬ地へと旅立たざるを経なかったヤコブ。おじラバンの娘ラケルに出会い、生活の基盤をなくしひとり不安を抱えた旅人の生活から解放され新たな生活が始まりました。人生は決して悲しみばかりが続くものではないのです。私たちには神さまの恵みとして様々な出会いがあります。それを感謝しましょう。神さまは嫌われているものをも顧みてくださる方です。そして私たちの人生に逆転を用意してくださっているのです。今どのような状況であっても決してあきらめずに、日々主に感謝して生きていきましょう。今の深い悲しみもやがては、感動を伴う喜びへと変化するのです。そう、レアのように、ラケルのように・・と、先週いっしょに、その恵み祝福について考えました。
 今日は、その続きです。
 さて、ヤコブにとって、おじラバンに仕えた20年はどのようなものだったでしょう。今日いっしょに見ていきましょう。その20年を通してヤコブはひとりから大家族に成長しました、物質的にも祝福されました。しかし、妻たちの争いやラバン家との葛藤の中で過ごさなければなりませんでした。主を信じつつも時には自分の知恵や細工に頼る、そんな20年、まさに忍耐の20年でもあったのですがそれを通してヤコブは練りきよめられ、造り変えられていきました。
 そして、ヤコブは20年の生活に区切りをつけて故郷へと旅立ちます。彼をそう決心させたその理由は何だったのでしょうか。そして、それは、今この人生を歩む私たちが何かを決断することにおいても、とても大切なことを教えていると思います。いっしょに考えてみましょう。      M.H

*メッセージであなたが語られたことを、今週、誰かに分かち合いましょう。
*あなたはどのような出会いを通して新たな生活が始りましたか?思いめぐらして感謝しましょう
*神が、あなたを見捨てたと感じたことはありますか。振り返ってそんな出来事を通して神がなしてくださったことを思いめぐらしてみましょう。
*今までの人生であなたが何かの決断をしたことがありますか?その時どのようにそれを判断しましたか?
*人とのかかわりにおいて問題はありませんか?その人とのかかわりに、間に入って下さる神を見上げ祈りましょう