2017年, 8月のブログ

2017年8月29日 

~ 期待して

 今日は恒例の夏まつり礼拝!みんなでいっしょに、天地をおつくりになられた神さまをほめたたえ、礼拝し、与えられたこの日を共に喜び、楽しみ、残暑もぶっ飛ばしましょう。
私たちを愛してくださり、すべての咎を赦してくださり、すべてのやまいをいやしてくださり、いのちを与えてくださり、一生を良いもので満たしてくださり、そして、いつも私たちを守ってくださる神さまを、心からの賛美と踊りを持ってほめたたえましょう。
 今日も生きて働かれる神さまは、私たち一人ひとりを愛してくださり、一人ひとりを名をもって呼んでくださるお方です。私たち一人ひとりをしっかりと覚えてくださり、その存在を尊いものとしてくださり、いつも共にいてくださる方です。今日もいっしょに素晴らしい神さまを体験しようではありませんか。
 
 アラムの王の将軍にナアマンという人がいました。ナアマンは勇士でした。しかし、らい病を患っていました。ある時、ナアマンの妻に仕えていた一人の少女(イスラエルから略奪されてきた)がナアマンに進言します。「サマリヤの預言者のもとに行けばらい病を直して下さる。」と。それを聞いて、ナアマンは預言者のもとに行きますが、預言者はナアマンに会うこともせず、ただ体を7度ヨルダン川に浸すようにと告げました。もっと、複雑で高等なことをしてもらえると思っていたのか、ナアマンは、怒りだします。 
 その時、ナアマンのしもべたちがナアマンに言います。「預言者がもっと難しいことをあなたに命じたらあなたはなさったのではありませんか。これは簡単なことです。」それを聞いて、ナアマンはヨルダン川に身を浸し、完全にいやされました。
 今日いっしょに、ナアマンの話から考えてみましょう。
 福音はシンプルです。難しくしているのは私たちのプライドではないでしょうか。
 主が、今日あなたに語ってくださり、働いてくださることを信じます。主が必要に答えてくださることに期待しましょう。                              

         M.H                                           


2017年8月20日 

~ 風を感じて

 風を感じて、風に乗って走るのは気持ちいいものです。初めて、電動自転車に乗りました。電動自転車のレンタサイクルがあるなんてと驚きながら自転車を借りて走ってみました。走り出して納得しました。とても電動のアシストがなければ走れないそんなアップダウンの激しいコースだったのです。
 最初は、電動の助けなんてなくてもいいのにと思っていましたがいざ漕ぎ出すととてもじゃないですが上り切れそうものないと感じました。そして電動の電源スイッチをオンにすると、どうでしょう、一漕ぎするといとも軽く進むではありませんか。
 皆さんは、「そんなん当たり前やん」と思われるかもしれませんが、電動自転車初体験の私は新鮮な感動を覚えました。皆さんも、初めて電動自転車に乗った時そうだったんではないでしょうか。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒1:8

 ふっと、聖霊さまのことが頭をよぎりました。私たちは、素晴らしい助け主が与えられています。私たちがスイッチをオンにして、一漕ぎ漕ぎ出すなら、その歩みをいかにも力強く、しかも軽やかに助けてくださる聖霊さまがいてくださるのです。
 皆さんは、そんな素晴らしい力に頼っていらっしゃいますか。私たちは、素晴らしい助けがありながら、自分の力でクリスチャンとしての歩みを進めて行こうとしているのではないでしょうか。助け主がいてくださるのを知っていながら。
 しかし、考えました。思ったことがあります。電動自転車は、電源を入れなければ、ただの重い自転車です。またいくら電源がオンになっていても、最初の一漕ぎはもちろん、一漕ぎ一漕ぎを、自分で回さなければ進みません。
 私たちクリスチャンも聖霊さまとの電源がオンでなければ、何もできません。また、最初の決心、最初のステップをおこさなければ、その助けの力強さ、軽やかさを経験できないし一漕ぎ一漕ぎ満たされつつ歩むことが必要なのではないでしょうか。何でもない単純なことのようですが私たちの日々の歩みを助け、疲れることなくたゆむことなく進めるようにしてくださるのは聖霊さまなのです。スイッチを入れるのはあなたです。ペダルを回すのはあなたです。さあ、キリストの証人として、聖霊の風を感じて風に乗って伝道自転車をこぎだしましょう。
                            M.H                                           


2017年8月13日 

~ 安心安全

 ある時、船は大嵐に見舞われ、甲板では弟子たちは右往左往大慌てしていました。ふと、ともの方に目を向けると、そこには、枕をして眠っておられるイエスさまが、、、弟子たちは、イエスさまに従って船に乗り込み、イエスさまといっしょに向こう岸へ渡ろうとしていました。でも、そんな大嵐にあってしまいました。もちろん、イエスさまご自身も大嵐の最中におられます。しかし、イエスさまは眠っていられるほど平安の中におられたのです。弟子たちは、自分たちがおぼれ死んでしまうかのように慌てふためいています。
 どうしてイエスさまは、平安を保っていられたのでしょうか。「イエスさまは、神さまだから当然やん。」確かにそうでしょう。しかし、イエスさまは風邪を叱りつけてから弟子たちに言われました「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことですか」と、私は思います。イエスさまは、ただ父の御心の内を歩んでおられたのです。イエスさまは、言われました「子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。」(ヨハネ5:19)イエスさまは自分の行動のすべては父の御心であったのです。そして御心を行っているならそこには平安があるのです。弟子たちは御心を行っていることを理解していなかったのではないでしょうか。自分自身が主の御心の内という最も安全な場所、安心できる状況にいるということがわかっていなかったのではないでしょうか。私たちも主に従っています。主と共に歩んでいます。主がともにいてくださるのです。嵐は起ります。突風は吹きます。でも最も安全で安心できるところを歩んでいくことが出来るのです。主の御心を行っていることが一番安全で安心なのです。主の御心を知って、主に信頼して、すべてを主にゆだねてこの人生を歩んでいこうではありませんか。主はあなたを愛しあなたとともに歩んでくださるのです。    M.H

                                            


2017年8月6日 

~ 恵みの中からキリストのかおりを

 先日センターに向かう途中で、出会いがしら自転車同士でぶつかりそうになりました。少し接触したもののよろけることもなくお互い無事でした。常々気をつけるように、と子どもに注意し、また自分自身もそう言われているのに、あぁ~やってしまった、と思いました。大事に至らず、よかったと、信号を待っている間、主に感謝して祈りました。主が守ってくださっているんだなぁ~としみじみ思いました。日頃何気なく、当たり前のように無事過ごしているこの生活の中に主の御手はいつもあるのだ、今回この少しの自転車の接触があって、改めて思いました。決してあたりまえではなく、守られているんだと。
 私たちは主によって救われ、神の子とされ、光の中を歩むものとされました。主と共に歩み、素晴らしい主の祝福を、喜びを、そして恵みをいただいています。アーメン!!ん?あれ?たしかに救われてんねんけど、神の子とされたんやけど、、、、一応喜びとか、祝福とかもあるねんけど、前ほどはそんなに、、、、と感じておられる方もいるかもしれません。また、そんな時もあるかもしれません。
 主はどんなお方でしょうか?
 *主はあなたを守る方 
 *主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。(詩篇121編)
 *あわれみ豊かな神
 *私たちを愛してくださった 
 *その大きな愛ゆえに、罪過の中に死んでいたこの私た
  ちをキリストとともに生かし、
 *キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、
                        (エペソ2章)
 ハレルヤ!主は素晴らしいお方です!主が私たちひとりひとりにどれほどの恵みを、祝福を与えてくださっているのか、目を開いて、心開いて、今日思い起こしましょう!そして感謝を捧げ、新しく主に出会いましょう!主の喜びに満たされましょう!そのあふれる喜びの中から、恵みの中からイエスさまを伝えていこう!!!!    Mrs.M.H