2017年, 12月のブログ

2017年12月17日 

~ とことん主!
 
 早いもので、今年もあと半月、来週はクリスマス。それは、私たち全人類にとって、すばらしい喜びの知らせがもたらされた日です。今からおよそ2000年前イエスキリストは、この世界に来てくださいました。神が人となって、私たち人類の罪を取り除くためにお生まれになられたのです。来週の土曜日クリスマスコンサート。そして日曜日クリスマス礼拝でイエスさまの誕生を素直に心からいっしょに喜び祝いましょう。
 クリスマスが間近にやって来ています。毎年のことですがこの時期になると何となく気忙しくなって、ついついやるべきこと、一番大切にせねばならないことをなおざりにし、バタバタと目の前のことにとらわれて、別に走り回っているわけでもないのになんとなく落ち着かなくなってしまって「忙しい、忙しい」と口にしているのではないでしょうか。
 しかし、よくよく考えて見ると、町の中やマスコミがそんな風に煽り立てているからなんとなく、その雰囲気に流されてしまっている部分も大きいのではないかと思ってしまいます。
 今私たちは、イエスさまの御降誕をお祝いする、このクリスマスを前に、本当にしなければならないこと、自分自身の使命に集中して取り組んでいきたいものです。
 マルタは、イエスさまの前で気忙しく働きました。イエスさまをもてなすために一生懸命に給仕をしたのです。妹のマリヤはイエスさまの足もとにすわってみ言葉に聞き入っていました。姉のマルタはそんなマリヤが気になります。そしてイエスさまに訴えました。マリヤも私の手伝いをするようにと言って下さい、と。すると、イエスさまは答えられました。どうしても必要なことはひとつである、マリヤはその良い方を選んだのだ。だからそれを取り上げてはいけない、と。
 今日、このマリヤとマルタの話の中からいくつかのことをいっしょに考えて見ましょう。師走のこの時期でなくとも、私たちは、常に姉のマルタのようになってしまっているのではないでしょうか。それは、何も一生懸命にやるべきことをやり、働くこと、忙しく動き回ることが悪いというわけではありません。私たちは、ずーっと、マリヤのように過ごせるのではありません。もちろんマリヤもそうです。やらなければならないこともあります。仕事、子育て、家事、勉強、お手伝い、それらをないがしろにしてしまうことはできません。そんな中で、私たちは絶対にないがしろに出来ない、絶対にしなければならないことを怠ってしまってはいけないのです。主のみ前に出て主との交わりを持つこと、それをわすれてはいけないのです。この気忙しい、何か落ち着かないこのようなときこそ主と交わる時がなお必要です。わたしたちはいつどんな時でも、どこででも、とことん主なのです。        M.H
                      


2017年12月10日 

~ 常識それとも
 
 早いもので、今年もあと3週間。何かと気忙しくなってきましたが、皆さんはいかがでしょうか。このような時こそしっかりとイエスさまを見て歩んでいきたいものです。
 私たちは、自分自身が願っていたはずの事であるのに、いざ、神さまがそれをなしてくださろうとしたとき、疑ってしまったり、自分の頭で判断して、そんなことは、起こらないだろうと決めつけてしまったりしてはいませんか。
 ザカリヤは御使いの言葉を聞きました。それは彼にとっても、まさに喜びの訪れを告げるものだったはずです。しかし、彼は、しるしを求めていました。私たちも、つい、そのようになってしまってはいないでしょうか。神さまが、み言葉を通して語ってくださっているのに、また自分の思いの中に語ってくださっているのにそれを信じることができない。何かしるしがなければ信じられない。そんなことはないでしょうか。見ずに信じる者は幸いですとイエスさまは言われました。また、信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。私たちは、信仰によって見ずに信じるものでありたいものです。
 ザカリヤは、神さまのなさることを自分の頭で、この世界の常識で判断して疑ってしまいました。自分も、そして妻のエリサベツも年をとっているから、子どもは望めないという人間的な常識と諦めが、神さまの、おことばより大きなウェイトを占めてしまっていたのです。私たちも、日々の信仰生活の中で、そのような状況に陥ってしまっていることがあるのではないでしょうか。もちろん、この世界の中での常識は大切ですし、何もそれを無視して生きるということではありません。しかし、それが神さまの働きを制限するものでしょうか。神さまに不可能なことはないのです。
 しかしながら、だからと言って自己中心で自分勝手な思いで何かを求めているならそれは本末転倒というものです。私たちは、神さまの声を聞いて、神さまの導きに従って生きるものです。神さまに自分の思いに従ってもらうのではないのです。
 ザカリヤは、その不信仰のゆえに、ものが言えなくなってしまいました。神さまからのことばを信じなかったからです。神さまが語られたことは、その時が来れば、必ず実現するのです。
 わくわくしませんか。私たちに語られた、そのことばは必ず実現するのです。それをしっかりと信仰によって受け取ろうではありませんか。私たちは、聞いていながら不信仰なことを語ってはいけないのです。
                            M.H                      


2017年12月3日 

~ とことん主!
 
 早いもので、今年も師走に入り残りもあと1か月を切りました。何かと気忙しくなってきましたが、皆さんはいかがでしょうか。このような時こそしっかりとイエスさまを見て歩んでいきたいものです。
 毎年のことですが、町には、クリスマスの雰囲気が充満しています。果たして、どれほどの人が本当のクリスマスの意義を知り、その重大さを知り、計り知れない愛を受け止めているのでしょうか。
 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。Ⅰヨハネ4:9
 イエスさまの十字架の贖いによって私たちの罪は赦され、永遠のいのちが与えられたのです。一方的な神さまの恵みによって私たちは救われ、神の子どもとされているのです。
み言葉にあるように神の愛が私たちに示されたのです。その愛って?
 今日もいっしょに、神さまが私たちに語ってくださることに耳を開き心を開いてまいりましょう。
 私たちは愛という言葉を普段よく使います。「私は○○を愛している。」「もっと愛されたい。」「あの人は愛のある人だ。」などなど、そして、人々は愛を求めて捜しまわります。
ヨハネは、ここに愛があると言っています。どこにあるんでしょうか。愛の源とは何でしょうか。私たちに示された愛とは私たちにとってどのようなものなのでしょうか。ヨハネは互いに愛し合いなさいと兄弟愛を勧めています。そして、その根拠として愛についてとても重要な真理を語っています。
 愛は神から出ていること、愛が示されたこと、そして、ここに愛があることです。クリスマスを前に今日いっしょにその愛について考えましょう。そして、私たちのオイコスへ、神さまが私たちに示されたその愛を、私たちが賜ったいのちを、救いを伝えていきましょう。                 M.H