2018年, 4月のブログ

2018年4月20日 

~ 覚悟を決めて
 
 「私たちは、このことについて、あなたにお応えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
 皆さんよくご存じのシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのことばです。ネブカデネザル王が金の像を拝めと命じましたが、王の命令に従わず、その3人の若者が、怒りたける王の前に連れてこられたとき、王にこのように言いました。
 彼らの心は一つでした。主に対する全き信頼で一つでした。彼らはいのちをかけて従いました。主は必ず助け出してくださるお方である、という信頼と、もしそうでなくても、もし助けて下さらなくても主を信頼する、という覚悟。そこには、自分の思いや願いが優先するのではなく、すべては主が治めておられる、すべては主の御手の中であると、ただただ主の主権を認めていたのではないでしょうか。
 私自身この信仰が欲しい!と願います。主が私に良いことをして下さるお方だから従うのではなく(もちろん私たちにとってベストを下さるお父さんです!)、主が主であるがゆえに従う、この3人の若者の信仰に倣いたいと願います。主は求めるものに良いものを与えてくださいます。主に切に求めましょう!信仰が強められ、拡大されますように!
 

 来週はサルーキ=のライブ、再来週はジーザスまつり!私たちのオイコスにイエスさまを紹介しましょう!素晴らしい機会が与えられています。それを十分生かして用いましょう!ご家族ご友人を誘って、良い時を共に過ごしましょう!
                           Mrs.M.H                                  
                                                              
        


2018年4月8日 

~ とことん主!
 
 今日、神さまが私たちを素晴らしい食卓へと招いてくださっています。神のテーブルに着いた私たちを主ご自身が、給仕してくださるのです。「主はパンを取り・・、主は祝福して・・、主はパンを裂き・・、主は与えられた・・」主がもてなしてくださるのです。

 パウロは、コリント人への手紙の中で、主から受けたこととして聖餐式のことを書き記しました。主が語られたのです「私を覚えてこれを行いなさい。」主の恵みを覚えていっしょにこの聖餐式にあずかりましょう。神さまが私たちを招いてくださっています。

Ⅰコリント23~29
【私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。】
 聖餐式は主から受けたことです。つまり起源は主にあるのです。そしてそれは主に従うという行為そのものです。
【わたしを覚えて、これを行ないなさい。】
 イエスさまの恵みを覚えます。イエスさまの十字架の死が、私の罪の身代わりの死であることを覚えるのです。ただ一方的に私を愛してくださり私のために十字架の上でその血潮を流してくださったことを覚えるのです。ですからこのことを信じることは聖餐式に与る条件です。
【わたしの血による新しい契約です。】
 罪の赦し、永遠の命、そして神の国の民とされたことを確認します。
【ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。】
 イエスさまにある分かち合いで互いが建て上げられれ、その恵みによって励まされ力づけられ、伝道に宣教にと遣わされるのです。
【ひとりひとりが自分を吟味して、】
 聖餐式はひとりひとりが自分を吟味して臨むべき聖なる聖礼典(神を信じるものへの主からの贈りもの)なのです。悔い改めに導かれたら悔い改めましょう。
 今日、単なる儀式としてではなく、また昔イエスさまがなされたことをただ単に記念してではなく、今も生きておられる主がここにおられ、この聖餐式に私たちを招いてくださっていることを覚えて、いっしょに素晴らしい主の祝福を頂きましょう。                            M.H                                  
                                                              
        


2018年4月1日 

~ ところが、しかし
 
 勝とうと試合に臨んだ。ところが、9回の裏ツーアウト10対0もう逆転は不可能、しかし奇跡の大逆転。夢に満ち溢れた幸福な人生を歩んでいるはずだった。ところが、夢が潰え、希望がなくなり、生きる意味を見失い、ただ無気力とむなしさが自分を支配してしまった時、自分に絶望している時、しかし・・・大逆転!!
 イエスキリストは、私達の罪のために十字架についてくださり、ご自身のいのちをささげてくださいました。その時、それまでイエスの教えに励まされすべてを捨ててイエスに望みをおいて従ってきた人達は、十字架の上に『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』と叫ばれ、完了したと言って息を引きとられたイエスを見て、埋葬のために包帯を巻かれ油を塗られ、暗い墓の中に納められたイエスを見て何を感じ、何を思ったのでしょうか?それは彼らにとって希望が、夢が死とつながれた日だったのではないでしょうか。夢を抱いていた、ところが・・・です。でもそこで終わることはありません。
 しかし、イエスキリストは決して死とつながれたままではなかったのです。それから3日後、女たちが墓に行ってみるとそこは空っぽでした。大逆転!!
 イースター、それは、私たち人類にとって、これ以上ない大勝利なのです。
 私たちは、神さまに愛され、永遠のいのちをいただき、神さまとともに素晴らしい人生を生きるように造られていたのです。ところが、私たち人類は、罪(神さまから離れて自分中心の生き方をすること)を犯し神さまからの栄誉を受けることができなくなってしまったのです。しかし、イエスさまが、そんな私たち全人類の罪を背負い十字架にかかってくださり、死んでくださり、死の力を打ち破りよみがえってくださったのです。十字架と復活によって私たちの罪は赦されたのです。イエスさまを自分の救い主と信じるなら、永遠の命が与えられるのです。私たちに大逆転勝利をくださったのです。
 私たちの人生に、どのような問題があったとしても、イエスキリストにある大勝利は、私たちひとりひとりの問題の中で、私たちを大逆転勝利に導き、人生を全く新しいものへと変えてくださるのです。今日私たちもその復活の力にあずかりましょう。      M.H