2018年1月21日 

~ 水汲むしもべとして
 
 年が改まり3週間が過ぎました。今年の目標や計画は明確になったでしょうか。いよいよ来週はアガペ研修会です。家族として神様のみ前へいっしょに進み出て主が語ってくださることを聞いて心をひとつにするときです。ぜひ皆さんいっしょに集い主を求めてまいりましょう。私たちの教会にとって、とても大切な日、感動する日、驚きを体験する日になると信じます。
 皆さんは感動という驚きを味わっていますか。きっと感動しただろうと思える人の話があります。感動というよりびっくりといった方がいいかもしれませんが。大変な労働の後に、しかも、何のために何をしているのかもわからず、イエスさまの言われたとおりに行動をし、仕事をこなし、そして、感動をしたであろう(驚いたであろう)人です。
 イエスさまが宣教の働きを始められたころ。ガリラヤのカナというところで婚礼がありました。そこでイエスさまは、最初の奇跡をなされました。華やかで、にぎやかな婚礼も、宴たけなわというときに、ぶどう酒がなくなってしまったのです。イエスさまは、宴会の手伝いのしもべたちに、水瓶を水で満たすようにと言われました。しもべらは、言われたとおり忠実にそれを実行し、イエスさまが汲むようにと言われたタイミングでそれを汲んで言われたとおり世話役のところへと持っていきました。世話役はそれを味わって、ぶどう酒であることがわかりました。そして、その奇跡でイエスさまは、ご自分の栄光をあらわされたのです。
 イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。  ヨハネ2章11節
 宴会に出席していた世話役や、花婿花嫁はそのぶどう酒を飲んで何を思ったのでしょう。一方で、水を、ぶどう酒を運んで行った、しもべは、どう思い何を感じたでしょう。いちばんの感動を、驚きを覚えたのではないでしょうか。私たちも、そんな水汲む、しもべでありたいです。主にある感動を、驚きを味わいたいです。いっしょに感動しましょう。M.H
                             
                          
                    

2018年1月14日 

~創世記38章

 

 私たちは創世記の旅を続けています。ヤコブとともに旅をしてきました。場面はヤコブからヨセフへと移っていきます。前回、ヨセフの時代に入っていく前に長子の権利を一杯の食物と引き換えに売ってしまったエサウとエサウの故に祝福から外れてしまったエサウの子孫エドム人の歴史をいっしょに見みました。そして、契約が見えていなかったヤコブ一族について、契約を忘れたがために引き起こされる妬みや争いその一族におこったことをヤコブのヨセフに対する態度、それゆえのヨセフの態度や兄たちのとった行動を見てそれが招いた恐ろしい結果そして神の計画が見えるようになるまでその一族はどうなったかを見て、今を生きる私たちが何を大切にし、どのように生きるのかをいっしょに考えました。

 今日はヨセフへと時代は移っていきたいところですが、38章をいっしょに見てみましょう。アブラハムからイシュマエルではなくイサク、イサクからエサウではなくヤコブとつながってきた家系はヤコブからヨセフではなくユダへとつながっていきます。ユダ族がキリストの家系として選ばれていきます。イスラエル12部族の中で主流となるユダ族の族長ユダの言動がどのように神さまのご計画と関わったかを、38章を中心に37章、そして44章を見ていきましょう。

 聖書は、この後ヨセフの話から出エジプト記へとつながっていきます。そんな流れの中で、主はユダの家族の内におこった、出来事にも目をとめておられます。神さまは私たちの人生の細部にわたるまでくまなく目をとめておられるのです。私たちはいたずらに主を裁かれる方として恐れる必要はありません。しかし、私たちの生活の細部まで目にとめてくださっている神を忘れないでいたいものです。その神さまが私たちをあわれんでくださり、祝福を注いでくださっているのです。私たちは失敗しても悔い改めて神さまのまなざしを意識し何回でもやり直せるのです。               M.H

2018年1月7日 

~ その人は何をしても栄える
 
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。ともに主の栄光のために、勤勉に怠らず霊に燃え主に仕えましょう。
 さて、皆さんはどのようなお正月をお過ごしになられたでしょうか。私たちは、先週の日曜日、もう昨年の話ですが、感謝の時を持ちました。昨年一年を通して主がなしてくださったことを振り返りその中で確かに神さまが働いてくださったことを確信し神さまをほめたたえ感謝の時を持ちました。   神さまは良きお方です。どんな時も私たちに最善を用意してくださり、どんな状況をも必ず益としてくださる方であることを確認しました。
 サマリヤとガリラヤの境で、イエスさまと出会い、いやされた10人のライ病人の中でイエスさまのもとに神をあがめるために帰ってきたのはひとりでした。そのひとりがその信仰が完全な救いを受けたのです。私たちもいつも神さまに感謝して生きるものでありたいです。
 新年礼拝では、ヨシュア記1章から、私たちが踏むところはすでに与えられていることを信じ、今年ひとりひとりが勝ち取る領域を、踏む領域を書き記しました。強くあれ、雄々しくあれ、恐れるなと主が語ってくださり、いつもともにいてくださることを確信し、神さまの素晴らしい約束に立って歩む決断をしました。そして、そのために私たちは、主の教えを守り昼も夜もそれを口ずさみそこから離れることなく歩むことをいっしょに確認しました。新しい一年の歩みがとても楽しみです。そうすれば主は私たちがすることで繁栄し、栄えると語ってくださっているのですから。
 年末年始に、礼拝に参加できなかった方はぜひCDを聞いてくださり心を合わせていっしょに約束の地を勝ち取っていきましょう。
 主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむものは、水路のそばに植わった木のようだと詩篇は語っています。皆さんは、どのようなものでありたいですか、時が来ればやがて実がなり、葉は枯れないそのようにありたいですよね。さあ、そのようなものとして、今年もいっしょに前進していきましょう。そして、いっしょに多くの実を見、枯れることのない葉をつけようではありませんか、私たちは何をしても栄えるのです。                     M.H