2018年5月20日 

~ 生ける水の川

 今日はペンテコステの日です。約2000年前聖霊さまが力強く弟子たちの上に下ってきました。イエスさまの約束の通りに。その御霊は今も豊かに注がれているのです。今日、私たちも、神さま前に飢え渇いて出ていって、聖霊さまを待ち望み聖霊さまに満たされましょう。
 教会は聖霊さまに励まされて前進して行くものなのです。そして私たちクリスチャンの歩みの一歩一歩も聖霊さまの助けなしには歩むことが出来ないのです。
 そういいながらも、私たちは日々聖霊さまを求めて、聖霊さまに満たされているのでしょうか。自分が困難に直面したときや、何かチャレンジを受けたときは、熱心に聖霊さまの助けを求めているけど、人生の嵐を通っているように思えるとき、どん底に落ち込んでしまっているような、そんなときは聖霊さまの存在すら忘れてしまって必死に自分の力でもがいていたり、逆に何となく事がうまく運んでいるように思えるような時は、自分を頼りにして自分の力にしがみついて、そしてやがては疲れ果てへとへとになってしまって、信仰すら揺らいでしまったというようなことはありませんか。
 自分が疲れ果ててしまっているのは、自分の力に頼っているからなのです。決して、聖霊さまは私たちを疲れさせることはないのです。主を待ち望むものは、新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることが出来る。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。のです。日々、主を待ち望み聖霊さまに満たされましょう。
 私たちの働きの原動力はそれしかないのです。自分の悟りや力ではなく、主に頼ることなのです。主は、私たちひとりひとりを主の働きのために召し出してくださり、私たちが、その働きをなすために助け主なる聖霊さまを送ってくださったのです。
 私たちが日々の葛藤に、罪の力に、悪魔の策略に打ち勝つのに必要なのは、聖霊さまです。そして、私たちがキリストのかおりをここに、大阪に日本にそして世界の果てまでも放っていくために必要な力は聖霊さまなのです。日々、聖霊さまに満たされましょう。            M.H
 

2018年5月13日 

~ 力を尽くして精いっぱい

 お母さん方いつもありがとうございます。私の大好きでとても励まされるなストーリー、迫害の中にある旧ソ連でのお話です。
 
 子どもたちはいつも、学校で無神論の教育を強制されていました。そんな中で、中部ロシアの熱心なクリスチャンの婦人は、自分の7人の子どもたちに、何とか神さまがおられること、そして人間をお造りになられ、愛して下さっていることを教えたいと願い自分の家の居間を解放して、日曜学校を開きました。そこに近所の子どもたちや、子どもの友達が集まって来て、毎週定期的に、イエスさまの愛を語り賛美歌を教えました。そうなると、人目につきやすくなり、ある時、秘密警察が踏みこんできて母親を逮捕して行きました。7人の子どもたちも、当局に取り上げられ、それぞれ別々の孤児院に収容されたのです。そして母親は、2年の懲役を受けました。母親は、毎日祈りました。子どもたちは、当然孤児院の中で徹底的に無神論の洗脳教育を受けさせられると思うと胸が張り裂けるような思いだったでしょう。2年が過ぎ退所の日が来ました。母親は退所を、喜び休む間もなく、ばらばらばらになっている子どもたちを探し始めたのです。そして、6人までは見つけることが出来ました。しかし、一番下の子だけは全く手がかりもなくどこかに消えてしまったかのようでした。それでも母親は探しつづけました。孤児院をひとつひとつ歩き回って雨の日も、風の日も探しました。そして、10年という年月が過ぎ去って、母親は年をとり、子どもも成長していました。しかし母親はあきらめませんでした。そしてある日、孤児院をたずね、そこにもいないとあきらめ帰りかけた時に口笛の音が聞こえてきたのです。もしやと思い音をたよりに近づいて行くと、ひとりの少年が食堂の机の下で膝をかかえ窓の外を向いて口笛を吹いていたのです。12年の歳月は、母親が子どもの面影を思い出すことさえを出来ないほどにするには十分でした。そこで母親は、かつて子どもたちに教えた「いつくしみ深き」のメロディを口笛で吹いてみました。ふたりの音が重なった瞬間に母であること、子であることを悟りふたりは抱きあったのです。そして少年は言いました「僕は、この12年間いつもこの歌を口ずさんでいました。神さまは、生きておられる方だからきっと、僕の願いをきいてお母さんをここに送ってくれる、お母さんは迎えにきてくれると、そう信じて、来てくれた時に、僕がここにいる事がわかるようにいつもこの口笛を吹いていたんだ。僕の信じたとおりになったんだ」幼い時に少年の心の中に刻みこまれた、みことばと賛美歌は12年の無神論洗脳教育の中でも消えることなく留まっていたのです。
 今日は母の日です。私たちジーザスファミリーのうるわしく、美しく、力強い、お母さん方に心から感謝を捧げます。お母さんたちの働きは決して小さなものではありません。そして、ひとりひとりの手の中に未来があるのです。この話に励まされます。母子が再会できたということはもちろんですが、それよりも、お母さんの信仰が、未来へと次の世代へと流れていったのです。ひとりの信仰が未来を造りだしていくのです。今日、いっしょに5000人の給食のピリポとアンデレから力を尽くして精いっぱいの信仰を考えてみましょう。                 M.H 

2018年5月6日 

~ 大きく口を開けて
 サーモスタットは正常に機能していますか。ついついサーモメーターに、なんてことはないですよね。先週リンダさんが語ってくださりとても励まされました。先週来られなかった方はぜひCDを注文して聞いてください。
 先週は、ジーザスまつり、アットホームで、とても楽しい時でしたね。チラシを見てまた通りがかりにたくさんの人も立ち寄ってくださりいいときでした。ありがとうございました。
 今日ゴールデンウィークの最後を、みんなで一緒に集まって礼拝できることはなんと素晴らしいことでしょうか。私たちクリスチャンの信仰生活の基本はやはり礼拝です。こうして、いっしょに集まって礼拝することは、私たちが日常の生活の中でどのように祈り、どのように感情を表現し、賛美し、どのように神さまの臨在に出会い、どのように神さまに応答していくのかを学び私たちが力づけられ励まされるときでもあるのです。礼拝は神さまへの私たちの応答です。そしてまた、毎日の生活を通してなす、私たちの生きざま・ライフスタイルそのものといえるでしょう。今日も一緒に礼拝をささげ励まされ強められましょう。
 私たちがキリストのかおりを放つために礼拝は不可欠です。私たちは、礼拝の中でいっぱい主に触れキリストのかおりを自分の内にしみこませて?それを持って、それぞれ遣わされたところに出て行ってそのかおりをまきちらすのです。礼拝の中で受ける恵み、祝福がひとりひとりの内にあふれ、私たちを通してキリストのかおりが広がっていくのです。そして、また私たちが集まって礼拝をささげているここから、この賛美、礼拝がキリストのかおりとなってこの町へと流れていくと私は信じます。なぜなら、そこに天地を造られた生ける神、偉大なる神さまがおられるのですから、今日も私たちはいっしょに主の前に大きく口を開けて主の祝福をいっぱい受け取りましょう。主は私たちに、大きく口を開けよ、そしたらそれを満たそう、といってくださっているのです。口を開けるってどのようなことでしょうか。いっしょに考えてみましょう。M.H