2017年10月17日 

~ 教会って?④
 
 昨年の8月から9月にかけて、教会とは?ということについて皆さんといっしょに考えました。(覚えていますか?)教会の2面性、見えない教会・公同の教会、普遍的教会と見える教会、地域の教会について。また、教会と神の国の違いについても見てきました。私たちはコミュニティから人が切り離されるのではなくコミュニティに影響されることを目指す。(分離は必要)取り出されるよりも、投げ込まれ、変えていくものでありたいと。そして、教会の使命は神の栄光を現すこと、教会自体の徳を高め、そして、主を救い主として証し、伝道することです。全世界にまで出て行って宣教することです。私たち教会が持っているものは、救いの恵みであり、キリストの愛なのです。唯一の希望を持っているのです。それを、この世界の中に現し伝えて行くことこそが、何にも勝る私たち教会の使命なのです。そんな使命を帯びて私たちは一つの共同体としていっしょに成長したいのです。使徒の働き2章にあるように教会は誕生し、そして成長しました。どうして、初代教会は、急激に救われた、3000人もの人々を牧することが出来たのでしょうか、共同体としてどのような生活を送っていたのでしょうか。そこには、何があったのでしょうか、その交わりとはどのような交わりだったのでしょうか。初代教会は、人々に何を伝えていたのでしょうか。それらのことも考えてきました。そこから私たち教会はどのように今のこの時代の中で神の国を現していけばよいのかということについて昨年もそして最近も一緒に考えています。
 今日から3回私たちの目指したい、教会の形をいっしょに考えていきましょう。初代教会の大きな特徴は、家々でも集まることを持っていた。共有していた。(使徒の働き2章)そのような、小さな交わりが何をもたらしていくのか、それは具体的にどのような生き方だったのか、時代も違うし、文化的な背景も違う今の私たちには何ができるのかを考えてみましょう。それは、その時代の話で今の時代には無理とあきらめてしまってはいけないのではないでしょうか。もちろん、いろんな工夫、知恵は必要ですが、自分の都合の良いように変えてしまって本質までもを損なっては何にもなりません。私たちはあまりにこの世に入り込んでしまって、少しずつ自分でも気づかないうちに、信仰がゆがめられ縮小されて行っているのではないでしょうか。自分の生き方をリセット(自分勝手な自分都合の生き方のリフォームではなく)する時ではないでしょうか。とことん主なのです。
                              M.H
                                                 

2017年10月8日 

~神様の希望、それは私たちです!
    
 第2歴代誌7章14節
「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、私の顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが久しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう」
 今日はこのみ言葉からご一緒に神様のハートを追い求めて行きたいと思います。
 このみ言葉はダビデ王の子、ソロモン王が主の宮を建て終わり、主の契約の箱を運び入れ、イスラエルの全会衆の前で、主に向かって祈った祈りへの回答として主が語られたものです。
 神様の答えには聞き入れられるための前提が示されています。
○みずからへりくだること ○祈りをささげること
○主の顔を慕い求めること ○悪い道から立ち返ること
 また、14節につながるものとして、13節にはこう書いてあります。
「もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、私の民に対して疫病を送った場合」
 このみ言葉を読んだ時、何か感じるものがありませんでしょうか。私は、今の日本の社会情勢を思いました。
 地震が頻発しています。貧富の差が広がっています。子どもの虐待が増えています。若者の自殺が増えています。地域格差も広がっています。外国産の食品が増えています。
 その中にあって、日本の政治のニュースのトップを飾るのは不倫問題。何かが狂っているという状況です。そして北朝鮮からのミサイル発射。
 これまでは戦争の話があっても自分たちとは関わりがなさそうな離れた地域の事でした。今は、まかり間違えば今日にでも自分の頭の上にミサイルが跳んでくる可能性がある状況になっています。
 神様が今、私たち日本のクリスチャンに応答を求めておられると思います。「世の光」「地の塩」として置かれている私たちが、この状況を変える神様の希望なのです!
 まず、私たちは神様の前にへりくだって出て行きましょう。そこから世界が変わります。変わるんです。
 ありのままを認めればいいのです。新約の民である私たちにはイエス様が一緒です。
 そして、イエス様に聞いて1人1人が示された事に応答して行きましょう。
 神様の栄光を現す者として、今こそ用いていただきましょう。
新しい1週間の歩みの上に神様の豊かな祝福がありますように。                    M.S  

2017年10月1日 

~ 創世記34,35章
    
 先週私たちは、32周年の記念の時を持ちました。皆さんはどんな波を感じていらっしゃいますか。次の大きな波を信仰の目で見て、今準備をしましょう。初代教会が誕生したころ、どのようなものを皆はいっしょに持っていたのでしょうか、また、どのように毎日を過ごしていたのでしょうか、先週考えました。そのことについてもう少し再来週から3回くらいかけて、いっしょに考えていきたいと思っています。いっしょに波に乗るために。
 さて、今日は、創世記の旅を続けます。私たちはヤコブとともに旅をしています。前回ヤコブの人生の大きな転換期、今までの生活に一区切りをつけて、約束の地へと帰るところをみました。決して簡単なことではなかった兄エサウとの和解、しかしそんな局面を突破しヤコブは兄と和解しました。兄との和解なしに、約束の地へ帰れないし、そればかりか約束の祝福を受け継ぐことはできなかったのです。神さまとの霊的な格闘のすえ、自我を砕かれ神の勝利を見たヤコブでした。
 今日は34章35章をいっしょに旅していきましょう。イスラエル一族に消滅の危機が襲い掛かります。ヤコブ一族は、シェケムで天幕を張った土地の一部を購入し、そこにとどまっていました。そこでアブラハム契約の継承者としての霊的指導力が問われる事件が起こりました。
 その土地を出ていかなければ、どうしようもない、にっちもさっちもいかないような状況の中で、ヤコブに次の道を示されたのは、神さまでした。
  神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」 35:1
 このみ言葉のように、どうしたらよいかわからないようなとき、自分で考えてもどうしようもない、そんな時そんな状況の中では、ただ一筋に神の仰せに従って進むしかないのです。何をどうしていいかわからないとき私たちが切実に必要とするのは、人の知恵、高邁な人生論や理屈ではなく現実に即したより具体的なアドバイスなのです。ヤコブの頭の中は吹っ切れ、主が仰せになったからという単純で何より十分な理由で新しい旅立ちに踏み出していったのです。私たちはいかがでしょうか。私たち自身の信仰を今日再建しましょう。
                           M.H